ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

おもしろ電車

用事があって都内で買い物を済ませた後、品川駅で列車を待っていたら、山手線ホームにチンドコ列車が到着。帰宅は止めて、反対回りで田端へ向かい、待ち伏せしました。

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17:01 田端駅 103系

山手線のウグイス色、総武線のカナリヤイエロー、中央線のオレンジバーミリオン常磐線のエメラルドグリーン、そして京浜東北線のスカイブルーが2両ずつの揃い踏み。205系が邪魔をしてスカイブルーの先頭は確認できませんでした。ヘッドマークには「おもしろ電車」と表示されています。205系の天下になっていた山手線を久々に走った103系だったのではないでしょうか。

写真は露出不足甚だしいものですが、レタッチでかなり明るくしております。

 

昭和62(1987)年4月12日

JR化後、最初の撮影

新年度を迎え、国鉄は解体され、7つの鉄道会社に分割されてしまいました。JR貨物は全国展開の大きな組織ですが、旅客部門は6つに分けられ、営業面での不公平さは明らかでした。ガッポガッポなJR東海に対して、三島と呼ばれたJR北海道JR四国JR九州の厳しい経営は火を見るより明らかでした。しかし、お祭りムードの中で、そんな不安は隠れ気味だったような気がします。

とにもかくにもJRは動き出しました。手っ取り早く旅客、貨物とも狙える鶴見駅に出向きました。

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10:22 踊り子2号

一見、国鉄時代とナンも変わりませんが、先頭車後部の車体側面には「JR」のマークがべったり。前頭部側面にはまだ「JNR」マークが残されています。

 

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10:24 777M

「JR」マークを見た時の印象ですが、もったりとしていて、やぼったくダッセーと思いました。

 

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10:25 京浜東北線

しっかし、この「JR」マークは、わずか1日でほぼ全ての車両に貼りまくったわけですから、大正時代の連結器交換並に凄い機動力です。

 

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10:27 994S

「JNR」マークは、一部の例外を除けば特急用車両だけに表示されたものでした。私有コンテナと区別するためにJRコンテナに「JR」マークを表示するのは当然としても、JR北海道の車両に「JR」マークを貼るのに何か意味があったのでしょうか・・・と思っていたら、JR北海道製の新型車両に「JR」マークは表示されていません。そっか、国鉄形車両には貼って、JR製車両には貼らない。

 

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10:42

電気機関車にもベッタリ「JR」。しかし、何故かディーゼル機関車には貼られませんでした。平面が少なかったからでしょうか。この当時はDD14とDD20とDD53と新幹線911を除けばセンターキャブ・セミセンターキャブばかりで、前後も側面もデコボコしていましたからね。

 

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10:44 みずほ

客車にもベッタリ。中でも電源車に張られた巨大な「JR」にはビックリ。誰に対してのアピールなの?

 

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10:44 769M

211系は小振りな「JR」。もともと国鉄っぽくないデザインだったので「JR」マークはさほど気にならないかも。

 

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10:59 京浜東北線

この日の撮影目的はこのHMでした。通勤する時に何度も見ていましたが、ようやく撮影できました。

 

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11:09 さくら

「JR」マークさえなければ、国鉄時代となんにも変わりません。ところで「国電」に代わる愛称名を知名人らが頭を捻って「E電」と名付けました。しかし世間の評判は全く芳しくなく、ほどなく廃れてしまいました。人々は「国電」に代わり、路線名で言うようになったのです。「JR」マークも「E電」と同じく、いずれ廃れるだろうと高をくくっていましたが、どっこい未だに健在なのには驚かされます。こっちもすっかり慣れてしまいました。

それにしても「鉄道」の「鉄」の字を「鉃」に置き換えたのには呆れました。ゲンを担いでロゴとして使用する分には構いませんが、工事用看板の手書き文字に「鉃」の字を使ったのは、工事会社のJRに対する斟酌だったのでしょうか。昔、近鉄がデパートの催し物だかで「鉃」の字を使い、地元民から「こどもが間違うから出鱈目な字は使うな」と叱られたことがあったのに。

因みに「鉃」は矢の先の部分の「やじり」の意味で、「テツ」とは読みません。JR四国以外のJRと山本洋司氏、頭悪過ぎ。

 

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12:17 鶴見線クモハ12

クモハ12に「JR」マークはありません。さすがに似合わないと思ったのでしょうか。両数が少ないし、他の鉄道会社と競合しないから?

 

昭和62(1987)年4月11日

国鉄の最期

東京駅で「旅立ちJR九州号」の出発を見送ると、再び上野駅に戻ってきました。すでに日は落ちており、刻一刻とこの日の終わりに近づいています。

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17:16 ひたち39号・483M

 

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17:21 1939M・ひたち41号

クハ481のスカートのタイフォンには開閉シャッターがありません。南国仕様の車なのでしょう。

 

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17:36 485M・常磐線通勤電車

 

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18:07 白山2号の回送・3042Mの回送

 

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18:51 あさま31号・あさま24号

普段と何も変わらない光景を撮影するのに飽きてきました。

夜行列車の発車時間帯になると、録音機を持って「ゆうづる」「あけぼの」「能登」「八甲田」「北陸」などの駅アナウンスを記録します。「本日も国鉄をご利用いただきまして、ありがとうございます」というテープ音声が、じわじわと心に沁みてきます。

 

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23:50発 旅立ちJR東日本

仙台行きの列車で、12系お座敷車が運用に当たりました。仙台到着は翌朝の08:30というのは、日中の各停を乗り継いでも7時間半程度なので、かなりの鈍足ぶりと言えるでしょう。まあ、座敷で宴会して酔っ払い、寝っ転がっている分にはちょうど良いのかもしれません。この列車が6本の「旅立ちJR号」のトリを務めます。なのに、この時の駅アナウンスといったら「団体の臨時列車」ときたもんだ。は~しらける。寒いわ。本当に気温が下がって寒かったんですけどね。

因みに、当たり前ですが「旅立ちJR貨物号」はありません。

 

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23:38 不明な臨時列車

何故、東京行きの急行「津軽」?

 

日付が変わる頃に上野駅を後にしました。日中の快晴とは裏腹に、この日の晩は冷え込んでおり、遂には雪まで降る始末。3月が終わるというのに、ここは北海道ですか。川崎駅に到着すると南武線はもうなかったので、駅前からタクシーに乗ることにしますが、タクシー乗り場には長い列ができていました。この仕打ちはなんでしょう。JR化への懲罰でしょうか。国鉄の怨念でしょうか。寒さに震えながら順番を待ちましたが、その後のことは頭が凍り付いて、なんにも覚えていません。

 

昭和62(1987)年3月31日

旅立ちJR北海道号

な~にがJRじゃい。虫唾が走るわい。などと、老けた口調で心の中で悪態をつきながら、そのヘッドマークを眺めていました。

国鉄最終日、上野駅から2本、東京駅から4本の「旅立ちJR号」が各地へ向けて発車しました。その先陣を切ったのが「国鉄発、北海道会社行き」の「旅立ちJR北海道号」でした。

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上野発13:30

「旅立ちJR北海道号」はジョイフルトレインの「ふれあいみちのく」で運転され、牽引機はEF58 89でした。当時は青函トンネル開業前であり、「ふれあいみちのく」は青森までの運転。深夜便の青函連絡船「檜山丸」を介して函館からは和式気動車の「くつろぎ」に継走されました。生録もしていたので写真はロクなもんじゃね~ですが、雰囲気だけは伝わるかと。ええ、ホームを叫びながら走り回るジャリ鉄の足音と、わめきちらす駅員の怒号がバッチリ収録できました(泣)。

しばらくしてから東京駅に移動し、16:43発「旅立ちJR九州号」を見送りに行きましたが、更に輪を掛けた混雑ぶりに身動きがとれず、隣のホームに移動して写真は撮らずに生録だけをしました。その3分前に寝台特急「さくら」が発車し、駅アナウンスを綺麗に収録できたのですが、肝心の「旅立ちJR九州号」は「団体の臨時列車」としか紹介せず、ガッカリガックリでしたよ。

 

それにしてもこれだけの大混雑なのに、ホームから一人も落ちないことに感心したりもしました。おそるべし、東京。

 

昭和62(1987)年3月31日

国鉄最後の通勤・通学時間帯

夜行列車の到着が一段落すると、今度は通勤列車発着の賑わいに変わります。でも、そういう写真は撮ってません。

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07:12 L特急「新特急 谷川1号・草津1号」

グリーン車」というサボがあるんですね。

「新特急」というのは列車種別の呼称ではなく、特定の特急列車の愛称名の一部です。実態は急行格上げによる特急列車で、特急と急行の間のグレードという位置づけです。特急料金は割引されています。

 

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07:15 ひたち5号・はくつる2号

うんこ座り。485 VS 583。

 

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07:18 833M

番号が面白かったので。

 

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07:57 426M

さよならヘッドマーク装着。

 

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08:23 京浜東北線

 

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08:38 常磐線

通勤電車も「さよなら国鉄」をアピール。

通勤・通学時間帯らしからぬ写真ばかりで恐縮です。

 

昭和62(1987)年3月31日

国鉄最後の朝

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昭和62(1987)年3月15日 川崎駅 いちご狩り号

どういう臨時列車であったのかは不明ですが、いちご狩りといえば静岡の久能街道沿いがちょうどその時期です。国道150号線沿いには「いちごガール」と呼ぶのかどうかは分かりませんが、若い女性が立ち並び、「いらっしゃいませ」のポーズで通行するドライバーに愛想を振りまきます。

そしてまもなく社会や人々は晴れやかな気持ちで新年度を迎えるわけですが、国鉄に新年度はもうありませんでした。

 

中島みゆきオールナイトニッポン」最終回を聞いた後、一睡もしないまま会社の寮を出ました。「「辛い」という字の、上のちょっぴりの点を十に変えると「幸せ」になります。人は、十分辛くて幸せになるんです」「これから数えて10秒後に、私は音楽に走ります」という彼女の言葉がヤケに心に残るじゃないか。

流石にこの時間帯には東急東横線もまだ走っていませんので、元住吉駅から武蔵小杉駅まで歩いていきました。みゆきさんみたいに走りはしません。この日は会社を自主休暇。仕事なんかしてられっかい、という気分。札幌駅で過ごしたいところだけれども、そこまで休みを取る勇気はなかったので、ちょっぴりは札幌に近い上野駅国鉄の最期を看取ることにしました。

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04:44 武蔵小杉駅

改札口からの光景。人影はまばら。高架化に向けて駅の改修工事が進行していました。南武線の車内アナウンスはいつも通りの内容で、国鉄最終日には一言も触れませんでした。せっかく録音機を回していたのに。

 

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上野駅 急行「津軽」・寝台特急ゆうづる2号」

すでに上野駅ホームは、若いファンを中心ににぎわい出しておりました。

 

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06:05 寝台急行「おが」・急行「津軽

夜行列車が続々と到着します。この朝の賑わいこそが上野駅

 

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06:08 寝台特急「出羽」

すでにEF58や旧客の姿はなく、SGからの湯気でホームが白くなることもありませんが、この賑わいぶりは変わりません。

 

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06:29 829M・寝台特急「あけぼの2号」は06:12着

夜行列車と通勤電車が入線・到着しては発車してゆきます。

 

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06:21 寝台特急「北陸」・寝台急行「出羽」

ここかと思えばま~たまたあちら。忙し過ぎる。

 

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06:34 寝台特急「あけぼの4号」・L特急「あさま1号」

特急列車も活動開始。もはやカオスといっていいかも。

 

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06:38 新特急「谷川1号・草津1号」・寝台特急ゆうづる6号」

 

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06:42 529M・急行「能登

 

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06:59 寝台特急はくつる2号」・L特急「ひたち3号」

 

「あんバタサン」のコマーシャルでは「うますぎて、けしからん!」というセリフがありますが、この頃の上野駅は、「夜行列車多過ぎてけしからん!」といったところでしょうか。

あんバタサンのTVCM

www.youtube.com

学校はまだ春休みということもあり、子供や若者たちが、夜行列車が到着するたびに集団移動し群がっていました。「本日も国鉄をご利用いただき、ありがとうございます」という駅アナウンスがたびたび流れ、これも本日限りとなります。国鉄最後の日が始まりました。さあ、どうするよ自分。録音と写真の二刀流だぜ。

 

昭和62(1987)年3月31日

 

みゆきさんのオールナイトニッポンはよく聞きました。といっても、生で聞くのは翌日の仕事に差し障りがあるので、カセットテープに録音したものを聞いていました。午前1時から3時までの2時間放送なので、2時間テープを用意し、午前1時の時報直前に録音スタート。ちょうど2時頃にCMが入ることもあって、仮眠したあと午前2時少し前に目覚ましで起きてテープをひっくり返してから本寝に入っていました。8年間におよぶ放送で録音したカセットテープは300本を超えましたが、今は全て処分して1本も残っていません。他の番組の録音テープも300本ほどありましたが同様に処分し、1枚だけ持っていた握手券も人にあげました。ただ、最初と最後の放送だけはDATにコピーして残してあります。「おかあちゃん、東京に売られてきたわねん。中島みゆきでございます。買ったのは、オールナイトニッポ~ン!」みゆき節が全国に向けて炸裂した始まりでありました。YouTubeを探せば、音源が見つかります。おいおい、いいのか著作権

青森経由で帰宅

陣場~白沢間の撮影は、当時のメモを見ると気分的にはあまり芳しいものではなく、中でも強風に煽られて寒い思いをしたことで、撮影を早めに切り上げたようです。その分、わざわざ青森経由で帰宅しております。周遊券の、こういう自由に乗り降りできる点は非常にありがたい。

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12:06 大館駅 たざわ1号

盛岡からのL特急「たざわ1号」に乗車して青森へ向かいました。

青森には13:18の到着。

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13:21 青森駅 634列車 EF81 146+ED75 750

入れ違うように発車した弘前行きの普通列車重連でした。慌ててカメラを向けてこう撮るのが精一杯。EF81には重連総括制御の機能はないので、後ろのED75にも機関士が乗務しているのでしょうか。

 

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青函連絡船乗り場との連絡通路越しに石狩丸が見えます。ちょっと帰省したくなってきます。

 

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乗車するL特急はつかり20号」。盛岡へ向かいます。貨物列車はED75 136+ED75 115の重連。しかも何故か前パンタ。青森駅には何度も降りているのに、長時間、ホームで撮影したことはありません。色々な列車が撮れたのに、本当に残念です。

 

はつかり20号」の車内では、いつかに備えて車窓からロケハンをしていました。けれど、それが役立つ日はいまだに訪れていません。

 

昭和62(1987)年3月8日