昭和62(1987)年3月15日 川崎駅 いちご狩り号
どういう臨時列車であったのかは不明ですが、いちご狩りといえば静岡の久能街道沿いがちょうどその時期です。国道150号線沿いには「いちごガール」と呼ぶのかどうかは分かりませんが、若い女性が立ち並び、「いらっしゃいませ」のポーズで通行するドライバーに愛想を振りまきます。
そしてまもなく社会や人々は晴れやかな気持ちで新年度を迎えるわけですが、国鉄に新年度はもうありませんでした。
「中島みゆきのオールナイトニッポン」最終回を聞いた後、一睡もしないまま会社の寮を出ました。「「辛い」という字の、上のちょっぴりの点を十に変えると「幸せ」になります。人は、十分辛くて幸せになるんです」「これから数えて10秒後に、私は音楽に走ります」という彼女の言葉がヤケに心に残るじゃないか。
流石にこの時間帯には東急東横線もまだ走っていませんので、元住吉駅から武蔵小杉駅まで歩いていきました。みゆきさんみたいに走りはしません。この日は会社を自主休暇。仕事なんかしてられっかい、という気分。札幌駅で過ごしたいところだけれども、そこまで休みを取る勇気はなかったので、ちょっぴりは札幌に近い上野駅で国鉄の最期を看取ることにしました。
04:44 武蔵小杉駅
改札口からの光景。人影はまばら。高架化に向けて駅の改修工事が進行していました。南武線の車内アナウンスはいつも通りの内容で、国鉄最終日には一言も触れませんでした。せっかく録音機を回していたのに。
上野駅 急行「津軽」・寝台特急「ゆうづる2号」
すでに上野駅ホームは、若いファンを中心ににぎわい出しておりました。
06:05 寝台急行「おが」・急行「津軽」
夜行列車が続々と到着します。この朝の賑わいこそが上野駅。
06:08 寝台特急「出羽」
すでにEF58や旧客の姿はなく、SGからの湯気でホームが白くなることもありませんが、この賑わいぶりは変わりません。
06:29 829M・寝台特急「あけぼの2号」は06:12着
夜行列車と通勤電車が入線・到着しては発車してゆきます。
06:21 寝台特急「北陸」・寝台急行「出羽」
ここかと思えばま~たまたあちら。忙し過ぎる。
06:34 寝台特急「あけぼの4号」・L特急「あさま1号」
特急列車も活動開始。もはやカオスといっていいかも。
06:38 新特急「谷川1号・草津1号」・寝台特急「ゆうづる6号」
06:42 529M・急行「能登」
06:59 寝台特急「はくつる2号」・L特急「ひたち3号」
「あんバタサン」のコマーシャルでは「うますぎて、けしからん!」というセリフがありますが、この頃の上野駅は、「夜行列車多過ぎてけしからん!」といったところでしょうか。
あんバタサンのTVCM
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学校はまだ春休みということもあり、子供や若者たちが、夜行列車が到着するたびに集団移動し群がっていました。「本日も国鉄をご利用いただき、ありがとうございます」という駅アナウンスがたびたび流れ、これも本日限りとなります。国鉄最後の日が始まりました。さあ、どうするよ自分。録音と写真の二刀流だぜ。
昭和62(1987)年3月31日
みゆきさんのオールナイトニッポンはよく聞きました。といっても、生で聞くのは翌日の仕事に差し障りがあるので、カセットテープに録音したものを聞いていました。午前1時から3時までの2時間放送なので、2時間テープを用意し、午前1時の時報直前に録音スタート。ちょうど2時頃にCMが入ることもあって、仮眠したあと午前2時少し前に目覚ましで起きてテープをひっくり返してから本寝に入っていました。8年間におよぶ放送で録音したカセットテープは300本を超えましたが、今は全て処分して1本も残っていません。他の番組の録音テープも300本ほどありましたが同様に処分し、1枚だけ持っていた握手券も人にあげました。ただ、最初と最後の放送だけはDATにコピーして残してあります。「おかあちゃん、東京に売られてきたわねん。中島みゆきでございます。買ったのは、オールナイトニッポ~ン!」みゆき節が全国に向けて炸裂した始まりでありました。YouTubeを探せば、音源が見つかります。おいおい、いいのか著作権。