ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 104

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

車歴は↓こちら。

C11104 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

サイドタンクの揺れ防止用の2本のH型鋼が目立ちます。炭庫には目一杯の高さまで、増炭枠が設置されています。C11にはLP42が似合うと思います。シールドビームが似合うのはC55流線型だけのような気がします。個人の好みなので何とも云えませんが。それにしても、前照灯の下部から前方に突き出した部材は一体何なのでしょう。

それにしても九州の機関車はキチンと整備されています。煤だらけでナンバーもロクに読めない北海道の機関車を見慣れた目には羨ましいばかりです。まあ、汚ければ汚いなりの風情があったりもしますが。でも、今現在、特急用の車輛が傷んだまま運用についているのはみっともないぞ。

C11 80

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和48(1973)年11月29日 会津若松運転区

車歴は↓こちら。

津山機関区から転属して間もなくの頃になります。この2年前には津山線で「SLさよなら列車」を牽引しており、裾部の白線はその時のものでしょうか。因みに元お召し機でもあります。

時はSLブームの真っ只中、日中には列車が走らない日中線や会津線只見線などで活躍し、その姿は多くのファンに記録されています。

引退後は津山市に帰郷し、現在は美しく磨き上げられた姿で津山駅前に保存されています。

C11 78

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和45(1970)年9月1日 熊本機関区

車歴は↓こちら。

C1178 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

生涯を九州で過ごした機関車です。

LP42が程よいバランスです。炭庫の通風孔はバック運転時のためのもの。

サイドタンクにはアーチ状の揺れ防止の型鋼が2本取り付けられていますが、さほど目立たないように見えます。

C10に比べて溶接個所を数多く取り入れましたが、前端梁や後ろ端梁にはリベットが目立ちます。

正面ナンバープレートの横にあるのは灯具掛けでしょうか。

ネットをググってもこのナンバーは見つからず。廃車となった昭和46(1971)年はすでにSLブームの渦中ですが、大型機にばかり目を向けられ、全国どこでも見られたC11は二の次三の次状態だったということでしょうか。SAMPUKU爺様、よくぞ撮影して下さいました。ナハナハナハ by せんだみつお

C11 19

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和48(1973)年11月29日 会津若松運転区

車歴は↓こちら。

C1119 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

あちこち転属した経歴をお持ちの機関車ですが、会津若松区が最後の配置区でした。その前の長岡運転所小出駐泊所時代、只見線がまだ全通していない頃は、小出~大白川間で旅客列車の牽引にあたっていました。その頃は、左右のフロント手摺を結ぶように横長の手摺が増設されており、入換時に役立ったことでしょう。

只見線の全通後(全通前、会津若松~只見間は会津線の一部で、全通後に只見線となりました)会津若松区に移ると貨物列車牽引の日々を過ごしましたが(旅客列車はすでにDC化済)、1年半ほどで運用を終え、貴重な一次型最後の機関車ながらも、あえなく廃車・解体となりました。

 

C11形式の再開となりましたが、昨日はSAMPUKU爺様から大量の画像が届きましたので、C59形式に入る前に、C11形式に引き続きC12形式と9600形式を割り込ませることにします。もしかするとC55形式やC57形式も割り込むかもしれません。あくまでも現在の方針であり、気分次第でコロッと変わるかもしれません。

C1101

機番に取り残しがありましたので、江別の鐵様のご協力の下、まずはC11形式からアップを始めます。

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年9月 長町機関区

保存先の愛知県へ向かう途中、中継先の長町機関区で公開されたそうです。

車歴は次の通り。(沖田祐作著「機関車表」より修正・加筆)

1944年7月 日本車輌名古屋工場製造(製番1331)

1944年11月 雄別炭鉱尺別鉄道納入

1945年1月3日 三菱石炭鉱業鉄道大夕張線転入 

1945年7月30日 認可 

1972年9月30日 廃車

1972年 長島温泉(三重県)保存

1984年頃 解体

発注者である雄別炭鉱尺別鉄道に納入されるも、同炭鉱の休山に伴いほとんど稼働することなく大夕張線(後の三菱大夕張鉄道)へ転属されました。

戦時中に製造のため、国鉄機の戦時設計機と同様の外観を持ち、除煙板は木製だった名残があります。また画像では確認できませんが、蒸気ドームは丸いものの砂箱は角ばったものでした。

主に大夕張炭山駅での入換用だったそうですが、9600が増備される前には本線運用で清水沢駅にも顔を出したという記事がネットに上がっていました。

廃車後は愛知県桑名市の長島温泉SLランド(現ナガシマスパーランド)にD51 192や小型車輛とともに保存されていましたが、施設の改築に伴い、全車輛解体されてしまいました。

C58 424

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 宮崎駅

 

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昭和46(1971)年2月17日 宮崎駅

車歴は↓こちら。

C58424 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

志布志機関区(←志布志管理所)に所属した他の426号機、427号機と共にK-7タイプを装備し、門デフ三羽カラス的な存在でした。他に219号機も配置されていましたが、遠江二俣区からの転属車で、門デフではありませんでした。

427号機はラストナンバー機。残念ながら画像はありません。

キャブ側面、区名札差しがナンバープレートの上にあるというのは極く少数派でしょうね。

 

C58 422

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)、43(1968)年頃 早来駅

後続の旅客列車(おそらくC57牽引の客車列車)から追い抜き時に撮影したものでしょう。この当時の室蘭~岩見沢間には気動車列車よりも多くの蒸機牽引旅客列車が運転されていました。貨物列車はD50、D51の牽引で、1時間に上下合わせて最少でも2,3本程度は走っていました。昼夜関係なく、貨物列車に限れば、現在の千歳線並に本数は多かった。そんな中、C58牽引の貨物列車は貴重でした。

貨物ホームには貨車が留置されています。もう一つの貨物ホームには車庫らしき建物が線路上に設置されています。

 

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昭和47(1972)年6月17日 追分機関区

 

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昭和47(1972)年7月 追分機関区

車歴は↓こちら。

C58422 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

鷲別区のC58は鷲別~追分間で貨物運用に就いていました。運用表がないので列車番号などは分かりませんが、軽貨物の牽引にあたっていたのでしょう。C57が旅客をD51が貨物の運用にあたる中、C58は目立つことのない存在で、昭和48(1973)年以降に撮影した私は一度も見ませんでした。