ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 240

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昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

車歴は↓こちら。

C58240 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

亀山区へ異動したばかりの頃になります。集煙装置は、紀伊田辺区時代に取り付けられたもののようです。重油タンクは背負っていません。この後、奈良運転所へ移った際に集煙装置は降ろしています。紀伊田辺区時代には紀勢本線で客車を牽き、奈良運転所時代には奈良線で貨物列車を牽いていました。

あまりに普通過ぎるスタイルなので、もう書くことが何もありません。

次回からはいよいよ大型蒸機の登場です。C62以外、私の知らない世界です。

C58 51

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昭和42(1967)年3月26日 亀山駅

車歴は↓こちら。

C5851 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

戦時中、軍事供出によりタイへ送られる予定でしたが、輸送船がないために日本に留まることができました。

集煙装置は載せているものの、重油タンクは装備していません。フロントのスロープ部の踏板が、左右で位置が異なっています。向かって右側除煙板の手摺は、左右で高さが異なっています。でも、給水温め器が向かって左寄りなのは仕様です。ナンバープレートの「C」の文字ですが、立ち上がり部が直線になっています。同様の書体は66号機や121号機、212号機、219号機などにも見られますが、極く少数派です。

関西本線の加太峠を越えて、草津線信楽線(現 信楽高原鐡道)の運用などにも就いていました。

廃車後は松阪市で保存されています。一時期は荒れたボロボロの状態で放置されていたものの、有志らによって整備され、今は黒光りした車体で往年の貫禄も誇らしげの様子です。

C58 21

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昭和42(1967)年3月27日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

C5821 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

配置されたことのないこの機関区に居るということは、撮影地の記録ミスかなとも思いましたが、撮影日がちょうど小山区から厚狭区への異動時期に一致することを考えると、その途中なのかもしれません。実際、ロッドを見ると主連棒が外され、いかにも無動力回送という雰囲気が感じられます。

その真偽のほどはさておき、小山区の前の米原区時代には集煙装置を載せたまま除煙板を外し入換作業に従事していましたが、集煙装置はその前の津山区時代に載せたものでしょう。補助灯を設置したのは米原区の後のことのようですので、小山区時代だったと思われます。それにしても、補助灯の方が高い位置にあり、目立っています。同じ小山区に居た15号機もこんな感じでしたね。

米原区時代にはオリジナルの単式空気圧縮機を装備していましたが、画像の頃はどうだったのでしょう。

時代や配置区によってスタイルが変わることは趣味的には興味深いことですが、特定機にこだわる模型屋さんにとっては悩みの種かもしれません。

C57 192

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昭和47(1972)年3月 宮崎機関区

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C57192 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

戦後に製造された4次型です。本来のC57がちょっとだけ中年太りしたような(実際、ボイラー径は若干太くなっている)印象がなきにしもあらず。とは云え、生きている実物は見たことがないので、目の当りにしたら印象は変わるかもしれません。ミニC59とも云われてるとか何とか。

前を見れば給水温めにが大きな箱型カバーで覆われ、側面に目を移せばランボードは空気圧縮機や給水ポンプをかわすように立ち上がり部を設けて連続しており、また動力逆転機が装備され、キャブは密閉式となり、後ろを見れば炭水車が船底式となっています。などと教科書的に綴ったものの、この192号機ではランボードは3次型以前と同じく立ち上がり無しでブチ切れており、ネジ式逆転機に交換され、せっかくの密閉キャブも出入りドアは撤去されています。またディスクタイプの先輪は、片側だけスポークに交換されています。以上、この画像では確認できませんが、機芸出版社「蒸気機関車の角度」掲載の写真から。

除煙板は前方上角が大きく隅切りされて、C54時代に戻ったのか、それともC58以降の近代的スタイルになったのか、よう分かりませんけど。

性能は変わらないのに割と大きな設計変更を実施した理由は何なのでしょう。工作上の理由ならば理解できますが、そうでもないようですし。技術者の趣味だったとか?一般には同時期に製造された戦後型C59の影響を受けていたということのようですが・・・よう分からんです。

C57 180

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昭和42(1967)年8月2日 坂町駅

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C57180 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

今では磐西の顔と云ってもいいほどに有名な機関車になりましたが、この頃はどこにでも見られる普通の機関車でした。外観的にはこれと云って特徴もないし。地元、新津市の小学校に保存されたことが今日の復元へとつながっていることを思うと、本当に何が起きるか分からないものです。

復元後はD51 498との同時発車や、C6120との重連運転などでファンの心をたぎらせていますが、門デフの装備も興味深いものです。大型蒸機同士の同時発車は山陽本線の広駅で、重連運転は全国各地で日常的に見られたシーンですが、その当時を知る人の目に、こうしたイベント運転はどう映っているのでしょう。もしかすると、列車そのものよりも沿線に湧き出る大勢のファンの姿に圧倒されて、尻ごみしてしまうかもしれませんね。私ですか?人混みは嫌いなので、圧倒される前に不戦敗です。

C57 175

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昭和45(1970)年9月2日 早岐機関区

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C57175 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

隣のC11と比べて、細身のボイラーであることが分かります。

翼を広げたような門デフは、やはり素敵なフォルムです。メジャーなK-7タイプです。C57やC55には実にお似合いです。前回の174号機とは兄弟機ながら、印象は異なるものです。画像では確認し辛いですが、先輪はスポークではなくディスクタイプに履き替えています。また砂撒き管は3本に増設されています。最後まで残ったC57門デフ機として、数多くの写真が残されています。

現在は宮崎市に保存。厚化粧ながらも比較的良好な状態のようです。日南線の運動公園駅前を真っ直ぐ東へ進むと、この機関車にぶちあたります。

C57 174

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昭和45(1970)年9月2日 早岐機関区

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C57174 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

門デフではありませんが、リンゲルマン濃度計や前端梁まで伸びた蒸気管、そして低い位置に取り付けられた後部標識灯に九州の機関車らしさを見出せます。ランボード縁の白もそうでしょうか。煙室扉の十字ハンドルはしっかり磨かれているようです。大村湾沿いに客車を牽いていた頃でしょうか。それにしても、前部に這うホースは何なのでしょう。