ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

餘部に向けて

山陰本線での撮影行はいよいよ最終日を迎えました。フィナーレを飾る撮影場所は餘部

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05:13発 鳥取駅 522列車

前日の朝もお世話になった522列車。快晴で迎えた朝の一番列車を、旧客で乗車できるとは、何と贅沢なことでしょう。時代の重みをまとった風格が、心にじわじわ沁みてきます。

 

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05:20頃 鳥取→福部(滝山(信))

どこからやってきたのか。一匹の蛾。風圧にこらえて懸命に窓枠にしがみつく姿がいじらしい。

 

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05:20頃 鳥取→福部(滝山(信))

高架橋をどんどん下ってゆきます。現在、この辺りは宅地化が進み、高架橋に沿って道路が走っているようです。

 

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鳥取(滝山(信))→福部

滝山信号場を過ぎ、トンネルを抜けて、前の日の朝に撮影した場所辺りでしょうか。

 

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05:39 岩美駅 521列車を522列車から

最後尾展望は、旧客ならではの醍醐味。通学生のたまり場でもありました。

 

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05:40頃 岩美→東浜

当初はこの区間で撮影することも考えていましたが、ロケハンで場所を見つけることができませんでした。

 

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06:15 浜坂駅 523列車

まさに旧客天国。牽引機のナンバーが縁起のいい「777」。

 

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06:32 餘部駅 522列車

餘部駅で下車。名残惜しくも、522列車を見送ります。幾人かのファンも下車し、お立ち台へ上がっていくようです。

 

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この日はお立ち台では撮らず、まずは山道を下りました。橋桁を支えるトレッスルの造詣美が何とも美しく、中腹でついシャッターを切ってしまいました。日本人の設計により明治45(1912)年に竣工した橋ですが、完成までわずか2年と1か月。海岸近くということもあり、メンテナンス費が嵩んだという批判もありますが、一方で、もしコンクリート橋としていたら、100年近くも形を留めることはなかったであろうという評価もあります。どんなものにも功罪があるわけで、地元にとっては、交通が便利になった反面、列車通過時の騒音や、橋からの落下物(雪や氷など)という問題があったとも聞きます。実際、この撮影から5か月後、大変な事故が発生することになります。

なお、餘部駅が開業したのは昭和34(1959)年のことで、鉄道が開業してから47年も後の事です。それまで余部に住む人たちは、線路伝いにトンネルをくぐり、鎧駅から鉄道を利用していたそうです。距離こそ2km足らずですが、照明のないトンネルの中を1km以上も歩くなんて、已むに已まれずとはいえ、昔の人は本当に凄いですね。

昭和61(1986)年7月28日