ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

北上線経由で帰省

国鉄時代、最後の帰省は北上線経由としました。陸中大石(現 ゆだ錦秋湖)~陸中川尻(現 ほっとゆだ)間の錦秋湖に架かる第2和賀川橋梁で撮影したいと常々考えていたからです。

前夜、上野を発った列車は覚えていませんが、北上発05:10の721Dに乗車しているので、上野発21:18、北上着05:06の急行「八甲田」だと思われます。

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721D

車内はご覧の通り、空気輸送です。ボケボケ写真なので、妻面の車番は全く読めませんが、キハ58です。

 

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05:52 陸中大石駅

真っ暗なホームに降り立ちます。

 

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暗くて、駅の全貌が分からないじゃないか。

 

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06:11~13 陸中大石←陸中川尻(岩滑沢橋梁) 722D

あまりに暗かったのでシャッター速度、2分。ぶれてるやんけ。

撮影した場所は岩滑沢(いわなめさわ)橋梁。国鉄の鉄道橋は「橋りょう」と表記するのが一般的だと思いましたが、面倒臭いので「橋梁」とします。

 

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07:20 陸中大石→陸中川尻(鷲之巣橋梁) 723D

対岸に渡り切った先で。

鷲之巣橋梁は当初、鷲の巣川橋梁と呼ばれたものだと思いますが、新線建設の工事中に橋梁は崩落し、11名の方が犠牲になりました。橋梁の近くには慰霊碑があり、一連の工事で亡くなった方18名の名前が刻まれているそうです。

 

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07:34 陸中大石←陸中川尻 726D
天ケ瀬橋はまだトラス橋。現在はPC橋となっています。国道107号線脇の斜面を登って撮った模様。

 

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橋台が残っていました。

岩沢~陸中川尻間は、北上線が横黒(おうこく)線と呼ばれていた時代に、湯田ダム建設工事に際し、昭和37(1962)年に線路の付け替えが行われています。この橋台は、旧線のものでしょうか。この撮影時の陸中大石駅は、その時に移設されたものです。

 

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天ケ瀬橋から1kmほどで第2和賀川橋梁が見えてきました。待望の場所まではあとちょっとです。

ところで和賀川では「和賀」を「わが」と呼びますが、和賀仙人駅では和賀を「わか」と呼びます。

 

昭和61(1986)年12月28日