ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂工場遠望

苗穂駅で用を足した後、苗穂工場を見てみることにしました。ドウデン前の跨線橋からです。

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12:13 苗穂→札幌 オホーツク2号

今は亡き跨線橋は、絶好のお立ち台でした。いささか揺れましたが。この当時はまだレールで組んだトラス橋でした。中学生の頃、年上の友達とこの場所で、入換作業のC58を眺めては煙にむせて楽しんだのも今は良き遠い思い出です。

 

工場を覗いてみます。ブレまくっている点はご容赦を。

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黄色の帯車はスヤ32 3と思われます。走る保健・診察室である保健車です。他に釧路にはスヤ42、旭川と函館にはスヤ52がおりました。

右端の黄色の車両は分かりません。裾絞りがありますね。急行か特急用の車両を改造したものでしょうか。

 

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こちらの保健車はスヤ52 4でしょうか。スヤ32 3とともに札幌運転区の所属でした。

 

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廃車となったDD13やDE10に混じって、ED75の姿があります。おそらく青函トンネル用のED79に改造する種車だと思います。苗穂工場では10両が改造を受けました。

 

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キハ22とキハ80系。このまま解体されるのでしょう。

 

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12:24 苗穂→札幌 おおぞら4号

増結された札幌方の先頭車だけが0番代。北ガスから漂う蒸気は、この時期の景色でした。

 

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12:33 札幌→苗穂 ホワイトアロー5号

 

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12:33 苗穂→札幌 ライラック10号

ホワイトアロー」とのすれ違いを撮り損なってしまいました。

 

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12:35 1755M・2937列車

1755Mは岩見沢発、手稲行き。2937列車は小樽発、旭川行きです。

跨線橋からでは架線ビームなどが邪魔なので、下に下りることにします。というところで次回へ続きます。

 

昭和61(1986)年12月29日