ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

北広島へ

調子こいて画像をアップし過ぎたため、サーバーの規定容量をあれよあれよと食いつぶしております。有料のPro仕様にすれば大容量が提供され心配は消えるのですが、そこまで入れ込んではいないので、今回からアップする画像を5枚に留めることにしました。

 

で、北広島にやってきました。これまで来たことのない場所ですが、地図で見ると適度なカーブが確認できます。

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09:33 北広島→島松 1744M

音江別川橋梁近くの踏切までやってきました。この先、島松方面に向かって線路は緩いカーブを成しており、上り列車に対していい感じの写真が撮れそうです。列車の通過時刻を確認して、ここだけの話ですが、線路際を速足で先へ進みます。もっとも、この当時は誰でも普通にやってましたけどね。

 

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09:38 島松~北広島 ホワイトアロー2号・ライラック5号

短編成にはちょっと緩過ぎるカーブですが、ま、このまま暫く居続けることにしました。781系同士のすれ違いが撮れていい気分だし。でも雪煙が思った以上に多いぞ。先の711系では全然だったのに。

 

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09:43 島松←北広島 おおぞら3号

釧路行きの「おおぞら3号」は、昭和61年11月のダイヤ改正前までは帯広行きでした。またこのダイヤ改正により函館~札幌間の運用は「北斗」に分離され、函館口から「おおぞら」は姿を消しました。また、それまでの6往復が7往復に増便される一方で、所定最大9両だった編成は8両に減両されました。

この日の「3号」のキロ182はハイデッカーではありませんでした。

 

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09:51 北斗6号

一方の「北斗」はダイヤ改正で、廃止された「北海」2往復と分離された「おおぞら」分を取り込み、それまでの5往復から8往復に増便。この時「1号」と「16号」は全国で唯一の全席指定席特急列車となり、「北斗」では唯一、ハイデッカーのキロ182形式500番代が組まれました。因みに定期的にハイデッカーグリーン車が運用されたのは「オホーツク」は3往復中2往復、「おおぞら」は8往復中4往復となっており、長距離運用重視で投入されたようです。

 

昭和61(1986)年12月30日

 

小遣いに余裕ができると、すぐにヤフオクを覗いてしまいます。今月に入ってすでに20冊以上も鉄道本を落札してしまいました。全て古本ながら状態はどれも良好で、新品と見まごうものも少なくありません。今回、その中でも一番の掘り出し物は写真集「北国の汽笛1」(ないねん出版)です。確か全4冊のシリーズ物だったと思います。1956~1959年における道内の鉄道の姿が生き生きと写し出されています。中でも衝撃的だったのは、札沼線石狩当別駅から青山の大袋までの31kmを結んでいた当別町営軌道の廃車体。昭和24(1949)年に簡易軌道の当別線として開業し旅客・貨物とも扱っていましたが、昭和29(1954)年の洞爺丸台風で大打撃を受けて休止状態に(事実上の廃止)。著者の星良助氏はその3年後の昭和32(1957)年に石狩当別駅を訪れ、留置されて朽ち果てた車両の姿を捉えています。自然災害に見舞われ、復旧することなく廃止された鉄道や路線は少なくありません。根室本線の東鹿越~上落合(信)間、日高本線鵡川~様似間が今まさにその渦中にあります。誰に見送られることもなく消えていった鉄道(簡易軌道)の悲哀を、まざまざと感じさせられました。