な~にがJRじゃい。虫唾が走るわい。などと、老けた口調で心の中で悪態をつきながら、そのヘッドマークを眺めていました。
国鉄最終日、上野駅から2本、東京駅から4本の「旅立ちJR号」が各地へ向けて発車しました。その先陣を切ったのが「国鉄発、北海道会社行き」の「旅立ちJR北海道号」でした。
上野発13:30
「旅立ちJR北海道号」はジョイフルトレインの「ふれあいみちのく」で運転され、牽引機はEF58 89でした。当時は青函トンネル開業前であり、「ふれあいみちのく」は青森までの運転。深夜便の青函連絡船「檜山丸」を介して函館からは和式気動車の「くつろぎ」に継走されました。生録もしていたので写真はロクなもんじゃね~ですが、雰囲気だけは伝わるかと。ええ、ホームを叫びながら走り回るジャリ鉄の足音と、わめきちらす駅員の怒号がバッチリ収録できました(泣)。
しばらくしてから東京駅に移動し、16:43発「旅立ちJR九州号」を見送りに行きましたが、更に輪を掛けた混雑ぶりに身動きがとれず、隣のホームに移動して写真は撮らずに生録だけをしました。その3分前に寝台特急「さくら」が発車し、駅アナウンスを綺麗に収録できたのですが、肝心の「旅立ちJR九州号」は「団体の臨時列車」としか紹介せず、ガッカリガックリでしたよ。
それにしてもこれだけの大混雑なのに、ホームから一人も落ちないことに感心したりもしました。おそるべし、東京。
昭和62(1987)年3月31日