ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

国鉄の最期

東京駅で「旅立ちJR九州号」の出発を見送ると、再び上野駅に戻ってきました。すでに日は落ちており、刻一刻とこの日の終わりに近づいています。

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17:16 ひたち39号・483M

 

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17:21 1939M・ひたち41号

クハ481のスカートのタイフォンには開閉シャッターがありません。南国仕様の車なのでしょう。

 

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17:36 485M・常磐線通勤電車

 

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18:07 白山2号の回送・3042Mの回送

 

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18:51 あさま31号・あさま24号

普段と何も変わらない光景を撮影するのに飽きてきました。

夜行列車の発車時間帯になると、録音機を持って「ゆうづる」「あけぼの」「能登」「八甲田」「北陸」などの駅アナウンスを記録します。「本日も国鉄をご利用いただきまして、ありがとうございます」というテープ音声が、じわじわと心に沁みてきます。

 

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23:50発 旅立ちJR東日本

仙台行きの列車で、12系お座敷車が運用に当たりました。仙台到着は翌朝の08:30というのは、日中の各停を乗り継いでも7時間半程度なので、かなりの鈍足ぶりと言えるでしょう。まあ、座敷で宴会して酔っ払い、寝っ転がっている分にはちょうど良いのかもしれません。この列車が6本の「旅立ちJR号」のトリを務めます。なのに、この時の駅アナウンスといったら「団体の臨時列車」ときたもんだ。は~しらける。寒いわ。本当に気温が下がって寒かったんですけどね。

因みに、当たり前ですが「旅立ちJR貨物号」はありません。

 

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23:38 不明な臨時列車

何故、東京行きの急行「津軽」?

 

日付が変わる頃に上野駅を後にしました。日中の快晴とは裏腹に、この日の晩は冷え込んでおり、遂には雪まで降る始末。3月が終わるというのに、ここは北海道ですか。川崎駅に到着すると南武線はもうなかったので、駅前からタクシーに乗ることにしますが、タクシー乗り場には長い列ができていました。この仕打ちはなんでしょう。JR化への懲罰でしょうか。国鉄の怨念でしょうか。寒さに震えながら順番を待ちましたが、その後のことは頭が凍り付いて、なんにも覚えていません。

 

昭和62(1987)年3月31日