ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

JR化後、最初の撮影

新年度を迎え、国鉄は解体され、7つの鉄道会社に分割されてしまいました。JR貨物は全国展開の大きな組織ですが、旅客部門は6つに分けられ、営業面での不公平さは明らかでした。ガッポガッポなJR東海に対して、三島と呼ばれたJR北海道JR四国JR九州の厳しい経営は火を見るより明らかでした。しかし、お祭りムードの中で、そんな不安は隠れ気味だったような気がします。

とにもかくにもJRは動き出しました。手っ取り早く旅客、貨物とも狙える鶴見駅に出向きました。

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10:22 踊り子2号

一見、国鉄時代とナンも変わりませんが、先頭車後部の車体側面には「JR」のマークがべったり。前頭部側面にはまだ「JNR」マークが残されています。

 

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10:24 777M

「JR」マークを見た時の印象ですが、もったりとしていて、やぼったくダッセーと思いました。

 

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10:25 京浜東北線

しっかし、この「JR」マークは、わずか1日でほぼ全ての車両に貼りまくったわけですから、大正時代の連結器交換並に凄い機動力です。

 

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10:27 994S

「JNR」マークは、一部の例外を除けば特急用車両だけに表示されたものでした。私有コンテナと区別するためにJRコンテナに「JR」マークを表示するのは当然としても、JR北海道の車両に「JR」マークを貼るのに何か意味があったのでしょうか・・・と思っていたら、JR北海道製の新型車両に「JR」マークは表示されていません。そっか、国鉄形車両には貼って、JR製車両には貼らない。

 

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10:42

電気機関車にもベッタリ「JR」。しかし、何故かディーゼル機関車には貼られませんでした。平面が少なかったからでしょうか。この当時はDD14とDD20とDD53と新幹線911を除けばセンターキャブ・セミセンターキャブばかりで、前後も側面もデコボコしていましたからね。

 

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10:44 みずほ

客車にもベッタリ。中でも電源車に張られた巨大な「JR」にはビックリ。誰に対してのアピールなの?

 

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10:44 769M

211系は小振りな「JR」。もともと国鉄っぽくないデザインだったので「JR」マークはさほど気にならないかも。

 

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10:59 京浜東北線

この日の撮影目的はこのHMでした。通勤する時に何度も見ていましたが、ようやく撮影できました。

 

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11:09 さくら

「JR」マークさえなければ、国鉄時代となんにも変わりません。ところで「国電」に代わる愛称名を知名人らが頭を捻って「E電」と名付けました。しかし世間の評判は全く芳しくなく、ほどなく廃れてしまいました。人々は「国電」に代わり、路線名で言うようになったのです。「JR」マークも「E電」と同じく、いずれ廃れるだろうと高をくくっていましたが、どっこい未だに健在なのには驚かされます。こっちもすっかり慣れてしまいました。

それにしても「鉄道」の「鉄」の字を「鉃」に置き換えたのには呆れました。ゲンを担いでロゴとして使用する分には構いませんが、工事用看板の手書き文字に「鉃」の字を使ったのは、工事会社のJRに対する斟酌だったのでしょうか。昔、近鉄がデパートの催し物だかで「鉃」の字を使い、地元民から「こどもが間違うから出鱈目な字は使うな」と叱られたことがあったのに。

因みに「鉃」は矢の先の部分の「やじり」の意味で、「テツ」とは読みません。JR四国以外のJRと山本洋司氏、頭悪過ぎ。

 

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12:17 鶴見線クモハ12

クモハ12に「JR」マークはありません。さすがに似合わないと思ったのでしょうか。両数が少ないし、他の鉄道会社と競合しないから?

 

昭和62(1987)年4月11日