ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

晩生内へ

札沼線晩生内駅は、難読駅のひとつに数えられています。「おそきない」と読みます。そんな理由で選んだのかどうかは覚えていませんが、鄙びたローカル線の雰囲気を撮りたくて、この駅へ向かうことにしました。石狩当別以北で撮影するなんて、およそ10年ぶりのことです。

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06:47 新川駅 631D

631Dは石狩当別行きの列車で、石狩当別では新十津川行きの721Dに接続します。始発の627Dは浦臼行きで、それだと乗り換えなしで晩生内へ行けたのですが、起きられずにくじけました。天気もパッとしないし。因みにこの当時の新川駅は、小さな待合室があるだけの無人駅です。

 

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06:53 新琴似駅 石狩当別からの620Dと行き違い

跨線橋ができて、雰囲気はすっかり変わりました。

 

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07:07 篠路駅 あいの里教育大からの1622Dと行き違い

篠路駅は、今の21世紀でもあまり変わっていません。でも昔は近隣に油井があって、ここからタンク車で輸送されていました。

 

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07:26 あいの里教育大駅 石狩当別からの624Dと行き違い

駅裏はまだ造成前で、住宅はただの一軒もなく。道路すらありません。

 

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石狩当別

乗車した631Dは07:46に石狩当別駅に到着し、折り返し07:51発の札幌行き628Dになります。ホームを挟んだ隣のキハ54が07:54発の新十津川行き731Dで、これで晩生内へ向かいます。

キハ54は札沼線の他、山線でも運用されていました。2基エンジンのキハ54は、積雪時の単行運転のために投入されたのだと思いますが、後にキハ53-500に置き換わります。

 

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08:30~31 石狩月形駅 浦臼からの724Dと行き違い

724Dには大勢の乗客が乗り込みますが、721Dはご覧の通り、ガラ~ン。この当時からこんな状態だったんです。

腰掛けには灰皿が用意されています。禁煙時間帯、禁煙区間というのが設定されていた「限定禁煙」の時代です。

 

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08:50 晩生内駅 731D

無事に到着しました。あんまり天気はよろしくありませんが、のんびりと撮影することにしましょう。

 

昭和62(1987)年6月8日