ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

さあ帰省だ

折しも、記事の内容が現在とオーバーラップするような恰好となってしまいました。でも記事は30年以上も前のことですからね。

この年の正月帰省では、軟弱にも新幹線+「はつかり23号」で青森到着。各停もなければ遠回りもなし。流石に時間をかけての移動に疲れてしまったのか。会社の寮を出たのはお昼近くで、青森到着は21:48。連絡船は00:05出航の101便「石狩丸」。「はつかり25号」でも22:47着なので余裕たっぷり。その待ち時間に、わたしゃ一体何をしていたんだっけ。

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青森駅のホームが見えます。停車中の583系は23:55発の「はくつる4号」かと。

 

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心霊写真風記念写真。右手が二本あるのもなかなかです。脚が写ってしまったのはちょっと残念。

 

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00:30発1便「摩周丸

もう二度と見ることのできない光景かと思うと、何やらじんわり来るものがあります。

 

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だだっ広いデッキから、離れ行く青森港に何を思う、乗船客。

101便「石狩丸」は04:00に函館到着。

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函館駅 05:00発 北斗81号

当然、この列車に乗車します。札幌到着は09:21。「北斗1号」より1時間近く後の到着ですが、まあ急ぐ旅でもなし。

 

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04:42発「北斗1号」

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試作車のみ装備した非常用窓。夏季、冷房装置が故障した際に使用します。脱出用ではありません。右下の日付が「’87 2 27」みたいになっていますが本当は「’87 12 27」です。スキャンした時の「ほこり除去機能」の副作用でしょうか。

 

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手前3番ホームが「北斗1号」で、その向こうの4番ホームに「北斗3号」が入線。まだ「JNRマーク」が付いたままです。

 

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今更ながら、身震いするような光景です。

 

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04:25に摩周丸が到着。手前では「石狩丸」から貨車を引き出しているところだったでしょうか。

 

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09:14 「ホワイトアロー2号」 白石~苗穂

「北斗81号」の車内から。あっという間に追い抜かれてしまいました。

 

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09:23 札幌駅 北斗81号

到着したのはあっと驚く0番ホーム。特急用の車両が0番ホームに停車するのは、付属編成の留置か展示会くらいしか記憶にありません。

 

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09:24 ホワイロアロー2号・おおぞら3号

ホワイトアロー2号」は2分ほど遅れて発車の様子。苫小牧行きです。「おおぞら3号」は09:26発です。

 

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09:26 おおぞら3号・オホーツク3号(09:28発)

続々と特急列車が発車してゆきます。わたしゃ、札沼線に乗るよ。

 

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09:40 新川駅 1639D(あいの里教育大行き)

単行です。この当時、まだこの程度の需要しかなかったんですね。

さて、明日からバンバン撮影しますよ。

 

昭和62(1987)年12月26~27日