ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

再び苗穂へ

令和二年元旦。皆様、新年おめでとうございます。本年も早速に本ブログへお立ち寄りいただき、ありがとうございます。お味の方は保証できませんが、またこの1年間、古めで香ばしい画像をアップして、往年の国鉄やJR発足間もない時代にどっぷり浸って頂く所存で参りますので、どうぞよろしくお願いします。

 

では、昭和62年の年末へバック・トゥ・ザ・パスト。

「おおとり」同士のすれ違いがどうにも気になってしまい、再び苗穂を訪れました。今回は苗穂駅ホームで狙います。

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14:39 新琴似←新川 1659D

昨日よりも2時間遅れの出発です。「おおとり」さえ撮影できればいいので、これでいいのだ。

この147号は、後に宗谷線急行用のキハ400 147に改造されます。そして更に、宗谷線急行廃止後は、日高線用のキハ40 335に再改造されます。キハ40系ほど大量に改造・改番を受けた形式はありません。北海道のキハ40系は全車157両が改造・改番を受けました。

 

 

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14:59 札幌駅 943列車・ライラック15号・1767M

札幌駅で乗り換えて苗穂へ。おそらく943列車に乗車したのだと。

 

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15:12 苗穂駅 上り「おおとり」

まずは網走からの上り「おおとり」が通過します。この5,6年後に苗穂駅は線路配置が変更され、留置線が設けられます。列車本数が年々増加して、札幌駅構内に留置する余裕がなくなってしまいますからね。

 

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15:21 ホワイトアロー9号

苫小牧始発で、札幌で折り返して旭川へ向かいます。

 

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15:24 上り「おおとり」

札幌で折り返してきた上り「おおとり」が苗穂駅を通過。さて、この後、下り「おおとり」とどうなるか。って、何で跨線橋の上から?

 

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15:25 上り「おおとり」・下り「おおとり」

遠~~~~~い。駅構内ですれ違うものと信じて、望遠レンズを付けておりませんでしたので、がっつりトリミングしてこのザマです。

 

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15:36 下り「おおとり」

もう脱力感。後追い。

 

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15:41 ライラック84号

当時は臨時の「ライラック」もよく運転されていました。この頃の「ライラック」の腰掛には、補助席が付いていたように思います。腰掛を回転しても、支障がない構造になっていたのでしょうね。せっかくの補助席でしたが、混雑していると補助席で通路がチョー狭くなり、乗客も車内販売員も車掌も行き来には苦労したし、補助席利用者もいちいち立たねばならず、みんな苦労したものです。思いやりが仇になったケースといえるでしょうか。

 

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15:43 ライラック16号

列車だけを撮っていますが、今更ながら、駅の様子もちゃんと撮っておけばよかったと後悔しております。荷物ホームの跡だってまだ残っていたんだし、返す返すも残念です。

まあ、そんなこんなで正月早々、年末の画像でナンですが、次回もまだ年末は続きます。

 

昭和62(1987)年12月29日