ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

くねくね路

磐梯町から翁島へ向けて沿線の小径を歩いてゆきます。もともと「撮影地ガイド」といった類の本はあまり見ないので、あくまでも5万の地図だけが頼りです。小径が線路から離れる辺りで、線路際に進入しました。

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09:33 磐梯町翁島 下り貨物列車

列車番号をメモっていないので、おそらくダイヤは持っていなかったのだと思いますが、見通しの悪いこの場所で、よく貨物列車を撮ることができたものです。ED77が重連の割には短い列車。

 

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09:51 磐梯町翁島 あいづ

起伏のある場所を縫うように線路が敷かれています。もともと郡山~会津若松間は岩越鉄道として開業した区間です。明治32(1899)年のことでしたが、明治40(1907)年には国有化されて、岩越鉄道国鉄岩越線となります。その後、延伸工事は進み、新津まで全線開業したのは大正3(1914)年、これを機に岩越線は磐越西線に改称しました。明治時代の土木技術では、起伏のあるこの地に線路を敷設するには、地形に逆らわないコースが順当だったのでしょう。

磐越西線全通当時、上越線はまだ完成していませんでしたので、上野と新潟との行き来はこの路線がメインルートでした。

 

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10:21 磐梯町翁島 2228M

更に翁島方面に移動します。直線よりも曲線区間の方が圧倒的に多いです。

 

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10:29 磐梯町翁島 快速「あがの」

移動する時間がなく、そろそろ戻らねばなりませんので、ほぼ同じ場所で。

 

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11:08 磐梯町翁島 快速「あがの」

駅へ戻る途中での撮影です。快速列車とはいえ、新潟~郡山を走破し、急行列車並の貫禄があります。「あがの」が急行列車の頃にはグリーン車を組み込み、仙台まで結んでいました。

 

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11:29 磐梯町駅 2225M

この列車で会津若松へ向かいます。因みに磐梯町駅は、もともと大寺という駅名でしたが、昭和40(1965)年に改称されました。

 

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11:44 広田駅 2225M・快速「ばんだい」

新旧の塗色が並びます。単線区間なので、快速「ばんだい」に道を譲るために、少々停車です。

 

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12:24 会津若松駅 117D・229列車・429D

左端の117Dは、会津線から第三セクター会津鉄道となった列車で、いわゆるキハ130に類した軽快気動車です。229列車は磐越西線の新潟行き下り列車、そして429Dがこれから乗車する只見線の小出行き下り列車です。ただし429Dはこの期間の土曜・休日に限り、「スキーライナー奥只見」として新潟まで延長運転されていました。

秋の只見線に続き、冬の只見線はどんな表情を見せてくれるでしょうか。

 

昭和63(1988)年1月15日