磐梯町から翁島へ向けて沿線の小径を歩いてゆきます。もともと「撮影地ガイド」といった類の本はあまり見ないので、あくまでも5万の地図だけが頼りです。小径が線路から離れる辺りで、線路際に進入しました。
列車番号をメモっていないので、おそらくダイヤは持っていなかったのだと思いますが、見通しの悪いこの場所で、よく貨物列車を撮ることができたものです。ED77が重連の割には短い列車。
起伏のある場所を縫うように線路が敷かれています。もともと郡山~会津若松間は岩越鉄道として開業した区間です。明治32(1899)年のことでしたが、明治40(1907)年には国有化されて、岩越鉄道は国鉄岩越線となります。その後、延伸工事は進み、新津まで全線開業したのは大正3(1914)年、これを機に岩越線は磐越西線に改称しました。明治時代の土木技術では、起伏のあるこの地に線路を敷設するには、地形に逆らわないコースが順当だったのでしょう。
磐越西線全通当時、上越線はまだ完成していませんでしたので、上野と新潟との行き来はこの路線がメインルートでした。
更に翁島方面に移動します。直線よりも曲線区間の方が圧倒的に多いです。
移動する時間がなく、そろそろ戻らねばなりませんので、ほぼ同じ場所で。
駅へ戻る途中での撮影です。快速列車とはいえ、新潟~郡山を走破し、急行列車並の貫禄があります。「あがの」が急行列車の頃にはグリーン車を組み込み、仙台まで結んでいました。
11:29 磐梯町駅 2225M
この列車で会津若松へ向かいます。因みに磐梯町駅は、もともと大寺という駅名でしたが、昭和40(1965)年に改称されました。
11:44 広田駅 2225M・快速「ばんだい」
新旧の塗色が並びます。単線区間なので、快速「ばんだい」に道を譲るために、少々停車です。
12:24 会津若松駅 117D・229列車・429D
左端の117Dは、会津線から第三セクターの会津鉄道となった列車で、いわゆるキハ130に類した軽快気動車です。229列車は磐越西線の新潟行き下り列車、そして429Dがこれから乗車する只見線の小出行き下り列車です。ただし429Dはこの期間の土曜・休日に限り、「スキーライナー奥只見」として新潟まで延長運転されていました。
秋の只見線に続き、冬の只見線はどんな表情を見せてくれるでしょうか。
昭和63(1988)年1月15日