今日は何かもう雪掻きで疲れたのでDD51の画像でも貼っておきます。画像貼る前に湿布でも貼っとけよ、という突っ込みは無しで。
昭和58(1983)年2月11日 あつみ温泉駅
廃車となって20、38、16、13号機がおりました。正面の白帯に違いが見られます。ここにはいない15号機が、両者の中間のような白帯でした。数年後にこの4両は、酒田駅の構内に移動していました。
昭和55(1980)年12月5日 ニセコ駅
五稜郭機関区所属の三つ目5人兄弟のうちの1両です。前照灯を点灯してくれていたら最高だったのに、この当時は日中は消灯してました。
向かって右側のデッキ手摺の斜めステーも五稜郭機関区所属車の特徴です。
昭和50(1975)年7月17日 札幌駅
期限切れのフジクロームですが、色補正でかなり普通になりました。0番ホームで休む1072号機。今ではここに写る全てが失われた風景です。
昭和57(1982)年11月14日 上野駅
上野駅で撮影した唯一のDD51です。後にも先にもこの1回だけ。非電化区間に乗り入れるための臨時運用だったのでしょうね。この日は国鉄ファンには悲しいアレの日でした。
昭和59(1984)年8月14日 小樽築港機関区
「小樽博覧会」に合わせて、小樽築港駅構内に臨時の「小樽築港(会場前)駅」が設けられ、そのついでなのか機関区を一般公開していました。
昭和59(1984)年8月4日 浜松機関区
こちらも一般公開時の撮影です。800番代の前身とも云うべき、SG非搭載のカマです。SG非搭載の貨物専用機としてDD52構想があったそうですが、結局800番代で対応することとなり、DD52は幻の形式となりました。全然馴染みはありませんが、ED55というのも幻の形式です。C13やオハ36形式2000番代は、誤って一時期だけ存在した形式。
平成10(1998)年3月24日 富良野駅
当時、北海道では唯一の3桁ナンバーで、しかもブロックではない切り抜き文字も唯一でした。本州からの出戻り。
昭和60(1985)年5月2日 06:32 苗穂←札幌 821列車
早起きして、自宅から駅までの5km近くを歩いて行きました。あまり見た記憶のないナンバー。
平成11(1999)年1月19日 11:10頃 陣屋町駅 5261列車
この当時はまだ駅構内に入れました。某プロダクションに依頼されてチップ貨物を取材した時のもの。ワム480000登場間もない頃で、後日、輪西の工場で改造シーンの撮影に立ち会いました(三脚持ち)。
平成10(1998)年11月29日 長万部駅 9977列車
キハ261系の甲種輸送です。正式には甲種輸送は五稜郭までで、それ以降は試運転か試験列車扱い。甲種輸送(甲種鉄道車両輸送)は貨物列車ですが、これは貨物列車ではありませんから。久根別から黄金まで追いかけました。
27日の未明には苗穂工場に搬入されるC11 171を撮影し、その後、函館方面に移動し、C12+旧客の甲種輸送を大沼から森まで追いかけ、翌日にはこれを岩見沢から納内まで追いかけるという、ハードながらも結構楽しい撮影をしていました。ガソリンが90円/l 前後の頃でした。
昭和61(1986)年7月28日 06:15 浜坂駅(522列車より) 523列車
最後はゲンの良さそうなナンバーで〆ときます。