ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

郵便・荷物気動車

今でこそ郵便物や荷物はトラックで輸送するのが当たり前ですが、鉄道黎明期から郵便や荷物は鉄道で運んでおりました。道路が整備されていませんでしたからね。使用されたのは客車でしたが、非電化のローカル線などでは専用の気動車が使われていました。

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昭和59(1984)年3月19日 徳島駅か? キユニ26 18

キハ26を改造して25両が製造されました。18号はキハ26 169からの改造です。ただし、キハ26にはキロハ25とキロ25の格下げ車も含まれているので、そのタネ車の外観の違いがキユニ26にも表れています。前面の補強と運転台後方の塞ぎ板がごっつい印象です。

 

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同上 キニ28 5

キロ28をタネ車として5両が製造されました。5号のタネ車はキロ28 172。車体は新製で、キハ40系タイプとなっています。

 

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昭和59(1984)年3月20日 松山駅 キユ25 2

郵便車や荷物車は多くが改造車ですが、このキユ25は完全新製の郵便車で、4両のみの四国名物でした。製造時期に合わせて、3号と4号はパノラミックウィンドウでした。「キユ」という形式はこれが唯一です。急行色をまとっていますが、タネ車の関係から、キユニ26、キニ56にも急行色だった時期がありました。

 

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昭和60(1985)年9月15日 11:03 藤代→取手 荷34D キニ58 1+キニ56 4

数少ないキロ58からの改造車で、常磐線用として3両が製造されました。1号はキロ58 7がタネ車。キニ28の2機関版であり、新製された車体はやはりキハ40系タイプ。常磐線には特急列車がビュンビュン走っているので、加速性が必要なために荷物気動車には伝統的に2基エンジン車が投入されており、この前にはキニ56(←キハ55)とキニ55(←キハ51)が製造されています。因みに電化区間の運用なのに気動車なのは、直流と交流の区間をまたがって走るため、交直流電車の荷物車を作るのは不経済であるとの理由だからだそうです。

 

写真は撮っていませんが、北海道にも独自形式の郵便荷物車がありました。キユニ21という、キハ21からの改造車です。それと新製車のキハユニ25は、急行「ちとせ」の室蘭方に連結されて、キハ56系編成の先頭を飾っていました。