ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

懐かしい風景

何の変哲もなかった風景なのに、失われてから急に愛おしく感じるようになったものを幾つかご紹介。過去にアップした画像とは別物だと思います。

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昭和54(1979)年11月10日 苗穂駅

この当時は、モハ711-9を中間に挟んだS-9編成が、後のS-901となる試作車の編成でした。モハとクモハによる2丁パンタが異色です。翌年の千歳・室蘭線電化に合わせて711系100番代が増備されるのですが、そこで編成替えが実施されてS-901とS-902の2編成が誕生しました。すでに苗穂駅の荷物ホームが解体中の頃です。構内ではまだ貨車の入換が行われていた頃で、場内放送に合わせて、入換用のDD13やDE10などが忙しく往来していました。

 

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昭和56(1981)年4月18日 国道←鶴見小野

社会人に成りたての頃。仮配属ながら、通勤に使う鶴見線を撮影しました。101系です。車両の転配によって、混色編成があちこちで見られたものです。東海道本線の電車にスカ色が混じっていたりもしました。鶴見川に架かるコンクリートのアーチ橋は、この数年後に鋼製の桁橋に架け替えられましたが、その工事をやらかしたのはウチの会社でした。

 

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昭和57(1982)年12月30日 02:33 新得駅 「まりも4号」「まりも3号」

上下の「まりも」同士の列車交換が新得駅で行われていました。写真は14系使用による急行時代ですが、キハ183系による夜行「おおぞら」(後に「まりも」に改称)になってからも新得交換は続けられました。この列車のお陰で、新得駅の待合室は終日開放され、深夜の貨物列車をホームで撮影することができました。

 

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昭和57(1982)年12月31日 15:36 苗穂→札幌 おおぞら4号

石狩街道の陸橋から、建設中の高架橋を望みます。パイプが組まれている所から手前側に、今はパソコンショップの「DO-夢」があります。将来的にはこの辺りに新幹線用のホームができます。

 

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昭和58(1983)年3月19日 三保→折戸 562列車?

会社の独身寮から歩いて5分程度の場所です。札幌はまだ雪深い時期なのに、ここ清水の街は春爛漫。清水に住んでいた頃は、とうとう冬のコートは一度も着ることはありませんでした。(帰省する時は別。)1月から3月中旬にかけては晴天が多く、雪を抱いた富士山の偉容を毎日の様に拝むことができました。清水港線の列車は何度も撮影したのに、乗車したのはたった2回だけです。

 

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昭和59(1984)年3月19日 小松島港

牟岐線の中田(ちゅうでん)駅からお隣の小松島駅までのわずか1.9kmの小松島線。その小松島駅から300メートルほど先にあったのが臨時駅の小松島港駅で、小松島駅構内という扱いなので営業キロは設定されていませんでした。ということは、小松島駅から小松島港駅までの乗車は入場券で可能だったのでしょうか?

ウィキによれば仮乗降場だったらしく、実際、「停車場一覧」には記載されていません。仮乗降場は北海道にはあちこちにあり、北海道の時刻表には一部は掲載されていました。

この当時、使っていたのかどうかは分かりませんが、ちゃんと機回し線もあり、今の令和時代の稚内駅よりも遥かに駅らしいです。

乗り場案内の看板をよく見てみると「南小松島駅」と表示されています。正式な駅ではないとはいえ、エエ加減やな。