ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

初 中版カメラ

C62 3が復活して、ちょっとでもいい画質で写真を撮りたいと思うようになり、初めて中版カメラを購入しました。35mmとの併用で、荷物があまり嵩張ってもいけないので、ペンタックスの一番小さい6cm×4.5cmサイズのカメラとしました。感覚としては35mmの延長で撮影できます。ブローニーフィルムを扱うのは初めてなので、フィルムを装填する時には、うっかり落として巻物を広げてしまうのではないかとドキドキしましたが、そういう失敗はせずに済みました。中版カメラデビューは秩父鉄道でした。しかし、最初の一コマは情けなかったです。

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09:40 樋口←波久礼 下り電車
記念すべき最初の撮影では、3絞りのアンダー。何やってんですかね。でもせっかくの記念すべき一コマなので、フォトショップでいじくります。

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だいぶ見える様になりました。使い物にはなりませんが。

 

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10:12 樋口←波久礼 下り「パレオエクスプレス

はっきり言って、「C62ニセコ号」のための練習でした。

 

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10:48 樋口駅 下り貨物列車

フィルムはPKRで感度はASA64しかないので、シャッターは1/60。当然、走っている列車はぶれてしまいます。コダクロームには全幅の信頼を置き、妄信していたので、他のフィルムは選択肢にありませんでした。

 

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11:02 樋口駅 下り電車

低速シャッターということもあり、全て三脚使用での撮影です。この日は雨天で気持ちが削がれたこともあって、午前中の撮影だけで引き上げています。実際、沿線にも電車の中にも、ファンの姿は見当たらない程、この日の雨はマジでした。

 

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寄居駅 DD51 842

遂に会えた、お召し列車牽引機の842号機。早退ならではのラッキー。ランボードの縁がステンレス・・・っぽく見えるけれど、よ~分からん。なんか薄汚れていて、いまいちパッとしません。手摺や排気煙突もステンレスの筈なんだけど。でもまあ、中版カメラの高画質の威力だけは確認できます。

 

予算の関係で、購入したレンズは75mmの標準1本だけ。この3か月後には念願のビデオカメラをほぼ衝動的に購入し、画質よりも動画の臨場感に気持ちが向き始め、中版カメラの出番はあまり多くはありませんでした。その間、撮影したフィルムはわずか38本にとどまりました。645版では120サイズで15コマ撮影できます。

 

平成元(1989)年7月16日