ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札幌市電

中版カメラを購入して意気揚々と「C62ニセコ号」の撮影に臨んだものの、結果は散々なものとなりました。思い描いていた絵が単なる妄想となってしまったわけで、この頃から自分の実力のなさを何となく感じる様になっていたような気がします。それだけに、この数か月後、衝動的にビデオカメラを購入したのも、実は自然の流れだったのではないかと、今は思えます。

それはともかく。下手なC62写真はさておき、札幌市電にもカメラを向けてみました。

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この時撮影した写真の中には、極端に露出不足のものが幾つかありました。故障です。購入して間もない保証期間内でしたので無料で修理してもらいました。実はこのカメラは、最初に購入したカメラが不良品(レンズの絞りを動かす部分が動かない)だったためにすぐに新品交換してもらったものだったのですが、それもまた早々に故障してしまったということで、何だかちょっと信用できなくなりました。ただし、それ以降、不具合は起きていません。

 

平成元(1989)年8月19日

 

あぶれ画像。今回は旧型客車で。

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昭和55(1980)年12月5日 長万部駅 オハ47 501

元オハ47 77で、更にその前はスハ43 110。オハ47形式は、スハ43の台車を振り替えた形式です。因みにオハ46形式はスハ43形式の増備車で、設計変更により軽量化された形式。

なおスハ43形式の北海道版はスハ45形式ですが、北海道版のスハ43形式(改造車)も存在し、こちらは700番代を名乗りました。本来なら500番代を襲名するところですが、スハ43形式がどんどん量産されて698番まで達したための措置でした。しかし北海道版スハ43形式が登場した時には、該当する501~511番は軽量化された車両だったためにオハ46形式となって空き番となっていたので、一旦は500番代に命名されました。とはいえ、500番にはスハ43形式のままの車両も残っていたので、番号に意味を持たせる意図から700番代へ変更されたという経緯があります。

 

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昭和57(1982)年7月31日 不明 オハニ36 7

元オハニ63 7で、台車振替でオハニ36形式に変更。オハニ36形式の電気暖房装置設置車は、重量増によりスハニ37形式となっています。

 

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昭和58(1983)年2月12日 川部駅 スハフ42 2001

スハフ42形式のトップナンバー。電気暖房装置搭載により2001号へ改番。

 

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昭和59(1984)年3月17日 徳島駅 オハ41 358

元スロ51 42をロングシート化した通勤化改造車。オハ41形式は全て余剰となった1等車がタネ車で、様々な形式から改造されて番代区分も多く、とてもじゃないけれども簡単には説明できません。

 

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昭和59(1984)年3月17日 徳島駅 オハ41 455

元スロフ53 16。窓枠が細くて模型化は大変そうです。ロングシート化されて背もたれが見えないので、車内が空っぽに見えます。

 

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昭和60(1985)年2月9日 スハ40 2093

元オハ36 93。スハ40形式は、いわくつきの形式で、オハ36形式に電気暖房装置を搭載したものなのですが、この際、重量増となってオ級からス級になったのにも関わらず、それに気づかないまま、全13両のうち3両が「オハ36形式2000番代」として数年間、運用されていました。2082、2114、2119号がそれにあたります。因みに、オハ35形式の増備車で台車形式を変更したものがスハ42形式、スハ42形式の近代化改造車がオハ36形式となります。

 

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昭和60(1985)年12月31日 札幌駅 スハフ44 27

行き先サボが、そこはかとなく痛々しい。

何にも用事はなかったけれども、札幌~函館間を山線経由で鈍行列車に乗って往復したこともありました。車中はほとんど寝ていて、記憶もほとんどありませんけど。

 

ところで、東京オリンピックパラリンピックの開催は、予定通り実施するとIOCは発表しました。その前には安倍総理が「完全な形で実施する」と表明。安倍総理の表明の時には、てっきり延期を見据えての発表かと思いましたが、IOCが日程も予定通りとしたことで、おいおい大丈夫かいな、という不安がかえって噴出する事態となっています。どこにそんな自信があるのだろうと考えましたが、答えは一つしかありません。新コロに対するワクチンや特効薬が完成したということではないでしょうか。しかし政治的目的か、医療上の問題かは分かりませんが、それ自体を公表するにはまだ早いということでかん口令が敷かれているような気がします。トランプ大統領が「中国ウィルス」という表現で中国を挑発するような強気な発言をしたのも、その表れのように思います。現在、アメリカ国内でもパンデミックの様相を呈していますが、その薬で一気に収束し、世界をアッと言わせて米国の底力を見せつけるとともに、中国をギャフンと言わせる意図があるのではないでしょうか。安倍総理にも当然、新薬完成の情報は伝わっており、実はアビガンやぜんそくの薬は新薬の隠れ蓑で、アメリカから薬が大量に輸入される約束が既になされているとか。新薬の製造量が一定以上に達し、国内での投与が始まり完治者が続出したところで完成を公表すると思います。派手好きの米国人ですから、人命を犠牲にしてでも、それくらいのパフォーマンスはやらかしそうです。アメリカから海外の供給順序ですが、日本→ヨーロッパ→アフリカ→オセアニア→中東→東南アジア→ロシア・中国・韓国と予想。米国にとって利益になるかどうかの順。

感染拡大を抑え込んだと発表した中国ですが、武漢では市民がいまだに苦労を強いられているようなので、中国政府の自慢げな言葉はかなり現実離れしているように思います。公表した数もかなり怪しい。アビガンの効能が確認されて、本格的投与を開始したそうですが、副作用が気がかりです。米国は、そんな中国が一歩リードしている姿を世界に見せつけた上で、「我が国は新薬を完成したぞ」と電撃発表して中国にとてつもない衝撃を与えそうです。

それにしてもWHOの事務局長の対応は、本当にクソです。中国に忖度し通しで、今頃になって「検査検査検査」とわめき出すって、アホ丸出しではありませんか。検査ばかりをやり過ぎた韓国やイタリアがどうなっているのか。間違いなくクビですね。