青函トンネル開業により北海道は本州と線路でつながり、北海道で初めてとなる寝台特急「北斗星」が華々しくデビューしました。しかしその陰になってあまり目立たなかったのが「日本海」でした。2往復のうち1往復が函館まで延長運転を開始したわけですが、札幌まで運転されなかったこともあり、ファンの認知度もイマイチだったような気がします。
編成全体は写っていませんが、おそらく13両編成だったと思います。そして最後尾には・・・
荷物車が連結されていました。バイク輸送の「モトとレール」、マニ50形式5000番代車です。「日本海」の奥では、新しいホームが建設中です。
マニを切り離し転線させるために入換機関車が登場。
マニ50 5001
バイクを卸す専用ホームへ転線します。ちゃんとトレインマークを装着しているのは嬉しいです。
次に、客車を運転所へ引き上げる機関車が登場。
長い編成を引いて函館運転所へ引き上げます。
海峡8号
この列車に乗車して職場へ戻りました。
C62三昧の夏休みでしたが、あっという間に終わってしまいました。中版カメラの描写力の優位性は明らかだとしても、標準レンズだけでは撮影に制限を受けてしまうので、思い切って望遠レンズを購入して本格的に中版カメラを使い込んでゆくか悩みましたが、結局、ビデオカメラを導入して画質よりも臨場感を選択することになります。
平成元(1989)年8月20日
あぶれ画像は北海道です。
共に昭和56(1981)年8月14日 函館駅
昭和58(1983)年5月2日 倶知安→比羅夫 急行「ニセコ」
尻別川を渡ると、すぐにトンネルに入り、そこを抜けて左に大きくカーブすると間もなく比羅夫駅通過です。
昭和64(1989)年1月7日 苗穂運転所 キハ400-148
「SOUYA TEMPOKU」のロゴが懐かしいです。
平成10(1998)年9月6日 10:52 富川←日高門別 2228D
沙流川橋梁を渡る、メジャーなポイント。河原にはいつも馬が居るとは限らないし、居てもいいポジションにあるとは限らないので、思い描いたようにはなかなか撮れません。ここに列車が来なくなってからすでに5年以上が経過し、存続問題で揺れに揺れて、復活は厳しい状況にあります。