ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清川

陸羽西線二日目は清川駅で下車。早朝から気持ちが良すぎるほどの好天に、予定していた通り、最上川を挟んで駅の向かいにある山道へ上がりました。

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08:39 清川駅 124D

やはり標準レンズでは無理があります。ちっちぇえ。ビデオを回しながらの撮影で、35mmでは撮っていません。

 

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08:47 高屋→清川 臨時列車

1本、儲けました。鉄道橋が架かる川は最上川の支流である「立谷沢(たちやざわ)川」。

 

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10:37 清川駅 125D

時間が経つにつれて雲が空を覆い、怪しい雲行きになってきました。軽トラックで通りかかった地元のオッサンに「100mほど行くと見晴らしのいい場所がある」と言われて高屋方面に進みました。しかし10分ほど歩いても見晴らしのいい場所などありません。結局、何となく線路が見える場所には出たものの全然パッとしなくて、そのうちに雨が降り出し、やむを得ずビデオだけ回しました。何だかな~。

前回の記事の中に貼り付けた動画の中には、ここ清川で撮影した映像も収録していますが、地元おっさんポイントは省略しています。

山を下り、清川駅で列車交換を撮ったのち、今度は立谷沢川の橋梁で撮影しましたが、雨がざんざん降っていたのでビデオのみ回しただけでした。

この時使用したHi8のビデオテープはSONY製の一番高いものだったのですが、何度も再生しているうちにテープが傷んだり、SONYタイマー発動により再生不良を起こすようになりました。SONYタイマーの方は、ヤフオクで色々なデッキやビデオカメラを10台ほど購入し、3年がかりでようやく、ほぼまともに再生できるビデオカメラを探し当てたのですが、民生用フォーマットと機材の脆弱性を痛いほど思い知らされました。その点、放送用フォーマットであるベータカムは、録画時のドロップアウトは致し方ないにしても、何度再生してもしっかり映像を再生してくれる安心感は大きいです。

 

平成元(1989)年10月8日

 

本日のあぶれ画像はED75

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昭和57(1982)年1月5日 12:20頃 原ノ町駅 121列車

ED75には旧客もブルトレも貨物列車も似合います。

 

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昭和57(1982)年10月9日 12:04 大河原~北白川

列車番号は不明で、メモがいい加減なので、上りだったか下りだったのかも記憶にありません。

 

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昭和57(1982)年10月9日 白石駅 ED75 734

白石駅といっても東北本線です。東北新幹線では白石蔵王駅奥羽本線には追分駅がありますね。山田線の川内駅は「せんだい」ではなく「かわうち」。

 

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昭和59(1984)年7月27日 07:24 肥前山口駅 あかつき3号 ED75 301

唯一撮影できた300番代はこの301号機だけ。北海道、東北地方、常磐線で活躍したED75ですが、九州ではED72、ED73、ED76が勢力を奮っていたので、ED75はどちらかというと異端の印象でした。(ED74なんていう、北陸路から流れてきた6両っきりのマイナーな機関車もおりましたね。)11両が製造され、国鉄時代に全車廃車されてしまいました。

 

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昭和59(1984)年8月11日 大館駅 ED75 758

長生きの機関車ですが、まだ現役なのでしょうか。新しい鉄道雑誌は全く読んでいないので分かりません。