ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

受験前の一息

大学受験まで残り1か月となった頃、それまで自粛していた撮影の禁断症状が出てちょっとイライラしていたので、ストレス解消のため近所へカメラを持って出かけました。

f:id:railway-photo:20200428071810j:plain

f:id:railway-photo:20200428071820j:plain

f:id:railway-photo:20200428071831j:plain

15:32 桑園→新琴似 629D

昭和52(1977)年1月30日

 

何かの用事で外出した時でしょうか。

f:id:railway-photo:20200428071852j:plain

f:id:railway-photo:20200428071902j:plain

12:09 桑園→札幌 雪列車 DE15 1511

全くの偶然なのか疑わしいですが、ここではこの列車だけ撮っています。この当時は、片側だけに複線用の前頭車を連結して運用されており、盲腸線の終点では前頭車を切り離した上で機回しを行い、また前頭車は180度回転させて、付け替えていました。しかし盲腸線の終点駅は次第に機回し線を剥がすようになり、前頭車の付け替えができなくなったために、両側に前頭車を付けるようになりました。次いで、単線用の前頭車も用意されるようになりました。

 

f:id:railway-photo:20200428071914j:plain

雪まつりの時期を迎え、札幌駅前には7100形式蒸気機関車の氷像が展示されています。これが義経号だったか弁慶号だったか静号だったかは覚えていません。

 

f:id:railway-photo:20200428071926j:plain

駅の跨線橋から苗穂方を見ます。留置線にはしばしば入換用のDD13が休んでいたり、客車が留置されていました。

 

f:id:railway-photo:20200428071939j:plain

おそらく右側の札沼線の列車に乗って帰宅したのでしょう。薄緑色の長い跨線橋は、左側にある北口と結んでいました。

 

f:id:railway-photo:20200428071950j:plain

待機中もSGを焚いて蒸気を上げるED76。ええなあ。

ある程度ストレスが発散でき、無事に受験に臨むことができましたよ。

 

昭和52(1977)年2月4日