無事に大学受験を終えて合否の結果待ちだった頃、一足先に大学生になっていた鉄友と一緒に苗穂へ行きました。苗穂機関区に配置されたばかりのキハ40と、研修所近くに保管されているキハ08がターゲットでした。キハ08は元キハ40なので、新旧のキハ40をまとめて撮っちまおうということです。ついでに苗穂工場で入換をしていたDD11 6もモノクロフィルムに収めて使い果たし、カラーネガに入れ替えたところからになります。
苗穂機関区と苗穂工場の境界あたりでしょうか。近くにいた職員の方にお願いして構内に入れてもらいました。手宮に保存されるC12 6と、その後ろの柵の内側にはC55 50の姿がありました。
保存に向けての整備待ちといったところでしょう。入換機特有のゼブラ模様は、9600などにも多く施されていましたが、ファンには不人気でした。私は平気でしたけど。
戦前の最盛期、北海道にはC12が60両も配置されていましたが、晩年は小樽築港機関区にのみ4両が配属され、手宮駅での入換に従事していました。他の3両は38、64、225号機でしたが、現役時代の姿は見たことがありません。因みに円山動物園に保存され、現在、幌内の三笠鉄道村に保存されているC12 2は、苗穂工場の入換機でした。
手宮に保存予定だったC55 30をうっかり解体したために、その代わりの保存機となったC55 50ですが、あやうくC55 30のナンバープレートが取り付けられるところでした。写真では分かりませんが、キャブには「C5530」と書かれていたとメモにはあります。当時、鉄道友の会では、C55 30を保存するにあたり落成時の流線形に戻そうとする運動をやっていたそうですから、C55 30の解体はさぞや残念だったことでしょう。なお九州の保存機C55 53は、実際にはC55 46とのこと。ナンバーのすげ替え理由は分かりませんが、両者では門デフの形状が異なります。そういえば「SLすずらん号」のC11 171は、平成11年11月11日の運転の際、「C11 1111」というとんでもないナンバープレートを着けて走りましたな。「ぽっぽや号」の「キハ40 764」が「キハ12 23」の車番を書いて走るようなものだったのかもしれません。
この後、豊平川に出ます。
DD51重連単機よりも、手前のドロドロでナンバー読み取り不可の乗用車に目が行ってしまいます。まだ片側1車線だった国道275号線。春先の道路は本当に汚かった。
ツートンのキハ21。千歳線の列車でしょうか。千歳線はまだ非電化です。沿線にはマンションなどの高い建物は皆無です。
80系の特急列車ですが、メモがないので何だか分かりません。5両目はキシ80食堂車です。
普通電車は711系のみ。千歳線・室蘭線の電化前で、まだ100番代はいません。車体のあずき色が、特急色の赤と同じ色だと知るのは、この20年後です。
冬には散々な目に遭った485系1500番代のL特急「いしかり」。この当時は、たったの6両編成で、食堂車はおろかグリーン車もない、つまんない特急列車と思っていました。711系急行「さちかぜ」より遅かったし。
キハ21とキハ17の編成。苗穂機関区には17系気動車としてキハ12、16、17がおり、函館本線、札沼線や千歳線の運用に就いていました。キハ12は北海道向け車両の形式ですが(本州向けはキハ11)、キハ16、17には北海道向けの番代区分はありませんでした。
ED76牽引の旧客とキハ56系とのすれ違い。50系51形登場前なので、この当時の客車は全て旧客です。
様々な形式の客車を従えて。先頭車は合造車に見えます。
何とも微笑ましい貨物列車。で、なんで車掌車が2両?
こちらもかわいらしい編成のコンテナ列車。貨物列車には必ず車掌車が連結されていた時代です。コンテナ列車では、後にコキフが車掌車に代わります。
苗穂駅に戻ってきました。
登場したてのキハ40が扇形車庫で休養中。顔しか見えずに残念。試運転中だったのかも。営業運転開始は夏になります。
DD14は冬のお務めを終えたところでしょうか。山線で特雪の運用にあたっていたのかもしれません。
苗穂機関区にDD51の配置はありませんでしたが、他の機関区からのDD51が休んでいました。構内には蒸機用の設備がまだ残っています。
苗穂工場には、保存用の機関車が留置してあります。ブームに乗ったかのように、北海道の蒸気機関車は廃車後、全国各地から引く手あまただったようです。廃車から1年以上が経過していますが、あまりに両数が多くて時間がかかっていたのかもしれません。
戦時型のD51。カマボコ形のドームが特徴。
画面右側が黒いのは、通過する列車の影。
受験が終わった翌日には室蘭本線の御崎へ行き、鉄原のS-304を撮りに行くなど、それまで我慢していた撮影欲が一気に噴き出したようでした。取り敢えず、受験の合否発表までは。
昭和52(1977)年3月7日