ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

開拓の槌音

日本で3番目となる鉄道「幌内鉄道」が手宮~札幌間で開業したのは明治13(1880)年のことで、その時に登場した蒸気機関車が「義経」「弁慶」などの愛称名で知られる、アメリカH.K.ポーター社製の7100形式でした。7100形式は全部で8両が製造され、そのうち6両目までは登場順に「義経(7105)」「辨慶(7101)」「比羅夫(7103)」「光圀(7104)」「信廣(7102)」「しづか(7106)」の愛称名が付けられました。僅か8両の形式ながらも「義経」「辨慶」「しづか」の3両が復元の上、保存されています。

昭和55(1980)年には北海道鉄道百周年を記念して、大阪から「義経」を呼び寄せ、「しづか」とのランデブーが手宮で行われました。

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しづか號は7100の部品を一部もらい受けて、苗穂工場で復元。

 

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義経號は鷹取工場で復元されました。それ以前は、原形をとどめないほどの惨めな姿に改造されており、ゲテモノ姿のタンク機関車といった風貌でした。それを鷹取工場では100年前の姿・・・といってもカラーリングは定かではありませんが、姿形を見事に復元しました。その美しさから、実用的な芸術品、工芸品と云えるでしょう。

テンダー機とはいえ小型故に、北海道炭礦鉄道時代になると幾分大型な7200形式が主力機関車となり、7100形式は除雪や工事用となります。

 

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ダイヤモンド・スタックと呼ばれる煙突の膨らみと、カウ・キャッチャーが外観的特徴で、アメリカの開拓時代をそのまま北海道にもたらした印象です。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」に登場した機関車もこんな感じでしたね。

昭和47(1972)年に放映されたドラマ「大いなる旅路」の冒頭では、貨車風に改造されたハイモに押されて、義経號に扮したしづか號が、千歳駅から伸びる米軍千歳基地引込線を走る姿が紹介されました。

 

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手宮の主であるこれら3両の機関車は、この日ばかりは脇役のようでした。

 

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義経としづか、対面式、再会の儀。時節柄、牽牛と織女との逢瀬にも見えます。

 

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くす玉が開き、会場内の興奮は最高潮に。この後、義経の単独走行が始まりました。

 

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汽笛と鐘を鳴らして4,5往復運転されました。明治の人たちは、蒸気機関車の偉容に驚きつつも、この汽笛が開拓の槌音に聞こえたのかもしれません。

砂箱に貼られた「1」、ちょっと「サンダーバード」を連想させます。サンダーバーズ、ア、ゴウ。

 

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休憩中のDD16 15がちょっとだけ気になりますが、線路を横断する勇気はないので接近撮影はしません。

 

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明治と昭和のランデブー。

 

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キャブの中はひしめきあっている様子。

 

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無事に運転を終えて車庫に入ります。転車台での方向転換も見どころの一つ。カメラを構えている人は案外少ないです。今ならばスマホを掲げている人だらけでしょう。

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居合わせた警備員さんもお手伝い。ちょっと多過ぎなような気もします。

実はこの日の対面式は2度目のもので、最初のは7日の七夕に行われました。両日とも撮影の他に「メタルデンスケ」で録音も行い、会場ではなかなか忙しく動き回っていました。そのフットワーク、今の自分には微塵も残っていません。

昭和55(1980)年7月13日