ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

白糸川橋梁 続き

前回の記事からの続きになります。

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14:49 下り荷物列車 EF58 128

EF58の運転室窓がどんどんHゴム化されて、ファンはプンプンに怒っておりました。まあ確かにHゴムの窓では品格が落ちる様に見えますが、それで61号機は最後までHゴム化されなかったのでしょうかね。(60号機は、された。)

また一部の車両は下枠交差型のパンタグラフに載せ替えられ、ファンのぷんぷん度は更に上昇したとか。血圧注意な。

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大型庇付きの62号機ですが、パンタグラフは下枠交差型のPS22を搭載。従来のPS14が底をついたという理由で載せ替えられた模様。ウィキによれば15両が存在したとか。

 

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15:05 下り貨物列車 EF65 28

貨物牽引機としてはEF60、EF65EF66が大活躍中でしたが、区間貨物にはEF15も生き延びていました。東海道本線は、これら機関車の番号収集にはもってこいでした。

 

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15:13 8522M

伊豆急下田発の臨時快速列車。元修学旅行用の167系を使用。

 

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15:15 下り貨物列車 EF65 76

コンテナ貨物は主にEF66が担当していたような気がします。

 

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15:42 踊り子16号

 

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15:45 踊り子17号

「16号」の185系との並びを期待しましたが撃沈。

 

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15:50 東海3号・ごてんば3号

4両目、5両目はグリーン車のサロ165ですが、4両目にはまだグリーン帯が残っています。急行列車のアクセントとなっていただけにグリーン帯の廃止は残念でした。

 

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15:55 793M

駅に戻る途上で。碓氷峠の写真で、こんな感じの構図を見た気がします。

 

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16:05 864M

残り少なくなった153系による定期列車。撮影後、急いで駅へ向かいました。

 

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16:09 329M(静岡行き、自由席グリーン車付き)

小春日和の中で、思う存分にシャッターを切って無事に帰宅です。思えば、ここで下りのブルトレを撮ったことはありません。夏至の頃なら「さくら」「はやぶさ」「みずほ」までなら難なく撮影できるのですが、そこまで入れ込むほどに思い入れは強くなかったのでしょうねえ。あ~もったいない。

 

昭和56(1981)年10月4日