ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清水港線に乗った

清水に住んでいるのなら、一度は乗っておくべき路線が清水港線。清水と三保とを結ぶわずか8.3kmの、貨物輸送を主体とする路線でした。戦時中は軍事物資の輸送などで荒稼ぎし、全国上位の黒字線だったそうな。旅客輸送はほぼ通勤・通学輸送が主体でしたが、晩年は1日1往復で、通学輸送がほぼ100%、それも清水から三保への片道のみの利用で、返しは空気輸送でした(帰宅は静鉄バス利用)。鉄道雑誌でも「1日1往復のみ、始発列車が最終列車。ディーゼル機関車が引く客車列車が走る路線」と紹介されていた清水港線ですが、昭和31(1956)年には1日7往復も運転されていました。客車列車だったのは、混合列車だったからに他なりません。

基本的には混合列車なのですが、時には客車だけで運転されることもありました。

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16:20 混668列車 折戸駅

ちょっと気だるい土曜日の夕方、会社の独身寮から歩いて10分もかからない折戸駅でスナップです。かつては駅から専用線が伸びていたと、駅近くにお住まいの元お嬢様からお聞きしましたが、それらしい痕跡は見当たりませんでした。

昭和57(1982)年3月6日

 

翌日、三保から乗車しました。

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駅舎の写真は撮っていません。アカンやろ。

 

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駅員がいるのでホームは整備されています。梅の花が咲きほころんでいました。日本やねえ。

 

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ザ・客車列車。この日、貨車の連結はありません。

 

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牽引機関車は静岡機関区のDD13です。地味な機関車ですが、清水駅や三保駅の入換にも活躍しており、全国各地でDE10やDE11が進出するなか、ここだけ時代に取り残されたような雰囲気がなきにしもあらず。廃線直前には、DE10が入線したのを目撃しました。

 

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車掌は乗務していますが、車内アナウンスはありません。勝手に降りろやって感じ。折戸と清水埠頭は無人駅ですが、集札をしていたという記憶はありません。清水港線の沿線には工場や倉庫があちこちに建ち並びますが、三保から折戸にかけては住宅街の中を走り、小さな踏切をいくつも渡ります。

 

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こどもも大人も、道路代わりに線路際どころか線路の中を歩く光景をよく目にしました。のんびりと、良き時代でした。

 

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折戸駅に隣接して天井クレーンのような設備がありますが、そういうことには全く興味がなかったので、どういう施設なのか分かりません。ホームだけで待合室もない、深名線以下の駅ですが、ここで朝の下り列車から大量の通学生が下車していました。すぐ近くを県道199号線が併走し、静鉄バスが頻繁に走っていたので、帰宅生たちはバスを利用していました。

 

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折戸を出ると右手に住宅は消え、工場ばかりとなります。折戸湾をぐるりと回り込むように、列車は常に右カーブしながら清水へ向かいます。三保と清水とでは、列車の向きはほぼ180度変わります。

 

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なぜか巴川口駅を撮っていません。倉庫やサイロが建ち並ぶ、臨港線臭漂う駅ですが、駅員が配置され、雰囲気のある駅舎でした。駅を出て河岸道路を渡るとすぐに名物の巴川橋梁を渡ります。全国でも3カ所しかなかった鉄道の可動橋です。巴川を行き来する船舶のために、通常は中央の桁が上昇しており、列車が通過する時のみ所定の高さに下ろされていました。どこで操作していたのかは分かりません。

 

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この踏切のすぐ先が清水埠頭駅です。やっぱり写真に撮っていません。左側にだけホームがある棒線駅です。右手に船乗り場があり、三保方面と結んでおりました。清水から三保へ通勤する人の中には、船を利用する人が少なからずおりました。おっしゃれ~。さんまとしのぶが共演した「男女七人秋物語」を思い出します。

 

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高架道路の下をくぐると、間もなく清水駅です。もともと清水港線は、清水港で陸揚げされた貨物を東海道本線に引き継ぐ目的で敷設された専用線でした。やがて、三保地区に幾つも工場が建設されたことで線路が延伸され、清水港線が完成しました。この付近や巴川口付近には、専用線の跡や、使われなくなった引込線が何本も残されていましたが、それらを探索するようなところまで深堀しなかった自分が残念でなりません。

清水駅に到着後、帰りの列車は明朝までありませんが、静鉄バスが線路に並行して何本も走っているので、全然心配は要りません。

 

昭和57(1982)年3月7日