ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

帰省からの戻り

GW帰省から戻る途中のスナップ。

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19:20発「北海4号」・20:00発「北斗8号」

函館到着は、それぞれ23:55、00:20で、深夜の12便、2便に接続。青森到着は、04:05と04:30で、双方とも青森からの「みちのく」「はつかり2号」に連絡しておりました。この時は珍しく「北斗」に乗車しました。キハ183系よりもキハ80系を選んだということです。夕食は済ませていたのに、ふらりと食堂車に入り、イカ刺し定食だかを注文したような気がします。駒ヶ岳の上にぽっかりと浮かんでいた、まあるい月がとても印象的でした。

 

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04:45発 みちのく 上野到着13:55

東北新幹線の完全開業となる半年先、この列車は廃止されます。一方、「はつかり」は盛岡~青森に短縮されます。

 

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04:53発 はつかり2号 上野到着13:43

常磐線回りの「みちのく」より、遅く出発して上野駅には早く到着します。珍しく指定席が取れたので、こちらの列車に乗車しました。道中、隣席は入れ代わり立ち代わり乗客が入れ変わり、車内には他に幾らでも空いた席があるというのに、なんでここばかり集中するのか不思議でなりません。いつだったか夜行急行「いわて」(上野~盛岡)に乗車した時には、車端部側1/4ほどにごちゃっと乗客が集中し、他はガラッガラという状況に出くわしました。このような指定券発券には苦情がありましたね。

 

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東京駅。ホームには人影がありません。珍しいシーンかも。

人の動きの激しい場所ならば、NDフィルターかまして10秒間ほどのスローシャッターを切れば、疑似的に無人状態が撮れます。

 

普通電車に乗って清水へGO。いつも品川駅手前では緊張します。東京機関区に何か変わった機関車はいないだろうかと、カメラを構えます。

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EF65 1097・EF65 1109

 

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EF65 1136・EF66 43

EF66は全機、広島機関区と下関運転所に配置されていました。まだブルトレ牽引に就任していないこの時代、コンテナ列車を牽引した後、ここで休憩していたのでしょうか。

 

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EF66 1

トップナンバーをゲット。EF15らしき旧型電機と共に憩う光景には心がなごみます。さあもう後は、清水まで寝てゆくだけです。

 

昭和57(1982)年5月5~6日