ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

再び上野へ その2

前回の続きになります。キャプションはエエ加減です。

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走り去ってゆくように見えますが、実はこちらに向かっているところ。上野駅に到着です。気の早い運転士が後部標識灯だけ点灯させています。

 

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風雪に耐えた先頭部。ネガフィルム劣化による色ムラではありません。貫通扉を開くと、特急シンボルマークは真っ二つに割れます。現物を見たことはないけど。

 

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夜行急行列車が到着。何だかんだ言っても、やはりEF58は美男子です。

 

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L特急「ひたち」でしょうか。電動車のみ存在した483系のトップナンバーがおりました。東海道新幹線0系製造のために後回しにされた481系電車は予定より3か月近く遅れて、昭和39(1964)年12月25日に北陸特急の「雷鳥」「しらさぎ」でデビュー。181系と識別するために真っ赤なスカートをはいていました。翌年10月1日には、東北向け50Hz対応の483系が「やまびこ」「ひばり」でデビューしました。制御車、付随車、食堂車は481系のままでしたが、クハ481のスカートはクリーム色となりました。更にその3年後の昭和43(1968)年には、50Hz・60Hz対応とした485系が登場し、北海道にも昭和50(1975)年7月に「いしかり」として1500番代が投入され、非電化だった四国を除く全国各地で485系は大活躍するのでした。

それにしても末尾「3」というのは、473系にしても163系にしても713系にしても、なんか中途半端な存在が多いような気がします。73系、103系113系、153系、583系、733系はメジャーやろ!という声が聞こえてきそうです。

 

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ピッカピッカの山形行き「やまばと」。

 

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意外にも、「ひたち」の先頭車はボンネット車の運用が多く、非貫通車の方が少なかったです。(貫通扉付きは見たことがありません。)

 

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何や知らんけどEF80です。日本初の本線用交直流機関車。

 

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「ひたち」から「ひばり」へ。ヘッドマークを交換するのもゆるくありません。でも、見る分には断然こちらの方がありがたい。

 

この後、もう生録にも撮影にも飽きてしまったのか、何故か松戸駅のホームにいます。偶然にも荷物気動車が停まっておりました。いつ発車するかも分からないので、対向ホームに移動するのは止めておきます。

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キニ56はキハ55から4両が改造されたもの。3号だけがバス窓の初期車キハ55 14からの改造でした。

 

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キニ55はキハ51からの改造車で、やはり4両が存在しました。1号はキハ51 2を改造。

常磐線を走る荷物列車は、直流・交流の両区間を跨いで走るために電車ならば交直流車が必要になりますが、交直流車にはまだ余剰車がないために高価な荷物電車を新製するしかありません。しかし余剰の気動車を改造して使えば安くあがるじゃんということで、荷物気動車の誕生です。ただし、電車が頻繁に走る常磐線ですから、気動車もそれなりに速く走ってもらわないと困ります。ということで、2個エンジンを搭載したハイパワーのキハ51、キハ55が流用されたという次第です。

偶然とはいえ、荷物気動車と出会えたのは気紛れのお陰です。

 

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房総急行は、少し前までは153系の天下でしたが、この時はすでに165系に変わっていました。どこの駅でしょうか。

 

6月23日に東北新幹線上越新幹線に先んじて暫定開業を果たします。これにより盛岡特急の「やまびこ」が廃止され、また他の東北特急も一部減便となりました。それでもまだ上野駅は、夜行列車や特急列車で華やかで賑わいある様相を呈していました。

 

昭和57(1982)年5月29日