ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

富山駅で

雨から逃れるように神通川橋梁を早めに撤収しました。富山駅に戻り、次の撮影地に向かうべくホームで列車を待ちながらスナップを。

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DD13 340

客車を入換中のDD13。手間暇かかる作業ですが、ファンにしてみれば、こういう動きこそが楽しい。ましてや本線には滅多に姿を現さない入換用機関車が見られるわけですからね。

青い電車は富山港線の旧型電車73系で、富山第一機関区に配属されていました。

 

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08:55 135M

富山港線岩瀬浜までわずか8.0kmの路線で、元は富山地方鉄道の路線。紆余曲折を経て、現在は富山地方鉄道に戻り、富山地方鉄道富山港線となっています。ただし走っている車両は路面電車です。

マヤ34を連結したEF70 10が留置されています。マヤは向日町運転所の2007号でしょうか。 

 

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DD13 340

340号機は第17次車と呼ばれるグループで、従来のグループとは外観上に若干の変化が見られます。模型にするとほとんど分からない程度ですが。

 

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キハ58 1003

高山本線の急行「のりくら」に運用されているキハ58。1003号は名古屋第一機関区の所属。キハ58には修学旅行用の800番代があるため、799号の次は1000号へ飛んでいます。なので、1003号は一見1000番代に見えますが、401号から続く長大編成対応のグループに属します。北海道のキハ56、キハ27ならば100番代に相当します。

 

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キハ58の陰から重連単機が飛び出してきました。或いはDD51の回送だったのかもしれません。DD51の555号機にはこの時しか会えませんでした。美濃太田機関区のカマで、昭和44(1969)年5月の富山で開催された全国植樹祭行幸では、その帰路、高山本線の笹津から名古屋まで、554号機と重連を組んでお召し列車を牽引したようです。

この撮影の翌昭和58(1983)年、555号機は秋田機関区の配属となっているので、もしかするとこの時は移送中だったのかも。でも区名札は「美」で、キャブには人影があります。

 

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09:04着、09:20発 243列車 福井発、直江津行き

乗りたいけれども我慢します。方向が逆だし。

 

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クハ451-35

08:58着、09:23発「立山2号」は、糸魚川発、大阪行き(糸魚川~富山間は快速)。堂々の10両編成で、指定席車は前3両。

 

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モハ470-2

若番なので撮りました。

 

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クモハ471-2

運転台側の出入り扉は構造的な事情により、落成時、外吊り戸でした。キハ35系のそれとは違い、いわゆるプラグドアで、扉が閉まっている時には車体側面と同一面となっていました。最終番の15号が試験的に引き戸で製造され、強度的に問題のないことが確認されると、全車が引き戸に改造されました。

クモハ471とモハ470はペアを組んでいました。(クハは451形式)

 

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クモハ475-42

後ろ3両は、季節運用として富山地方鉄道宇奈月温泉に乗り入れることがありました(大阪~宇奈月温泉)。それにしても、グリーン車も撮っておけばよかった。

 

で、09:20発の「雷鳥8号」に乗車したと思われ。

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09:20発の243列車がまだ停車中。

最後尾の自由席車に乗り込みました。

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クハ481-113

富山発なので車内はガラッガラ。金沢までの45分間しか乗れないなんて残念過ぎます。

 

昭和57(1982)年6月26日