ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

「のりくら6号」乗車で名古屋へ

乗車した列車は記念に撮影しておくものですが、「のりくら6号」については1枚も撮っていません。なんでかな~。しかしメモによればキハ58 443に乗車しています。

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オエ61 39(←マニ60 2691←オハユニ61 76←ナハ22798)

富山駅かもしれませんが定かではありません。ガラス窓に映り込みがあるので「のりくら6号」の車内から撮ったものでしょう。木造客車の台枠を流用した鋼体化客車です。

 

8分間の停車時間に富山駅で買い込んだ「ますのすし」二つをばくばくほおばり、お腹いっぱいで苦しくなってそのまま爆睡した模様。

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北アルプス

気が付けば運転停車してどこかの駅で「北アルプス」と行き違い。

80系気動車の塗色を模したこの列車は名古屋鉄道の8000形で、まずは国鉄急行色の姿で準急「たかやま」としてデビュー。急行「北アルプス」を経て特急「北アルプス」になった時に、この塗色となりました。神宮前(名古屋本線)と飛騨古川とを結びますが、観光シーズンには富山地方鉄道立山まで延長運転されました。

 

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場所不明 オエ70 43(←スニ73 6←オハ70 84)

オハ70形式は、所謂、戦災復旧車と呼ばれるグループのひとつで、戦争で痛めつけられた様々な形式から誕生しました。

 

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場所不明 スエ30 8(←スニ30 8←スニ36507←スニ47807)

国鉄初の鋼製客車である俗に云うオハ31系です。二重屋根が古さを物語っています。列車の脱線事故が起きた場合、木造客車では強度が低いために大破し、多くの犠牲者を出しました。その打開策として強度の高い鋼製客車が開発され、最初に誕生したのが本系列です。なお、これにより車体重量が増え、同じ定員を輸送するためにはより強力な機関車が求められることとなり、従来のC51より強力なC53が登場することとなりました。

 

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13:32 坂祝駅 ひだ5号

坂祝駅では運転停車。「ひだ5号」と行き違いました。これはちゃんとメモしてありました。

 

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場所不明 DD51 592

後に「ユーロライナー」の専用塗色が施されます。587~592号機の6両は蒸気発生装置を搭載しておらず、貨物用800番代の先行車的な存在でした。

 

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14:00 岐阜駅

5分間の停車の間に撮影。117系はかっこええやん。

 

ほんでもって名古屋に到着。やはり「のりくら6号」は撮影していませんが、他の列車をなんやかんや撮って、フィルムを使い切ってから新幹線で帰宅しました。

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14:29 貨物列車

スカート回りがごつい、貨物用のF形533号機。P形の特急用500番代とは番号上の区分はしていませんが、そんなんで現場は混乱しなかったのでしょうか。

 

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15:00発の「しなの15号」

 

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153系と新幹線

80系~151系・153系の成功があって新幹線0系が誕生しました。中国の高速鉄道のように、他国の技術をパクって作り上げたものとは違い、たゆまぬ努力で独自に技術開発した日本の新幹線は、世界一安全な高速鉄道でしょう。でも、最近の部品落下事故は気になります。

 

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高山から14:46に到着した「ひだ4号」。折り返し15:30発の「ひだ7号」になると思われ。

 

ここでフィルムを使い切り、出張にかこつけた撮影旅行を無事に終えて、新幹線で帰宅しました。

 

昭和57(1982)年6月27日