ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

雪の降る日に車両写真なんて撮るものではありません

前回の記事の画像の前に撮影していたものが今回の画像です。撮影から38年目にして明らかになりました。正月の札幌駅です。

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13:00 44列車

函館行きの山線回り普通列車ですが、荷物列車としては苗穂が始発です。

 

こちらは6番ホーム。

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スハ42 506

 

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オハ35とスハ42。実質、台車が違うだけ。

 

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13:04~06 833列車

1番ホームの44列車に続き、6番ホームには小樽発、岩見沢行きの旧客列車が着発です。車体は古くても、車内は暖かい・・・はず。

 

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13:08 140M(旭川発、札幌行き)

舞い上げた雪で厚化粧。711系にしてみれば、どうってことない雪でしょう。

 

13:15 45列車

山線回りの各駅停車が到着です。各駅停車といっても、張碓駅だけは通過です。先の44列車の対となる列車です。

旅客列車としては森発、札幌行きなのですが、荷物列車としては函館発、苗穂行きです。全編成の車両写真を撮りました。

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ED76 518

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1号車 オハフ33 613(函ハコ)

元スハフ41 7。スハ42の緩急車であるスハフ41は、台車をTR40からTR34に履き替えて20両全車がオハフ33に編入されました。607~626号がそれになります。もともとスハ42・スハフ41は、オハ35・オハフ33の増備車で、台車をTR34からTR40に変えて形式変更となったものなので、元のさやに納まったと見ることもできます。

 

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2号車 オハ36 505(函ハコ)(←オハ36 90←スハ42 90)

オハ36は、スハ42のうち近代化改装によって軽量化されて形式変更となったもので、車番はスハ42時代のものを受け継いでいるので飛び番になっています。北海道向け500番代は、全て本州向けを改造したもので、スハ42時代の車番ではありません。

 

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3号車 オハフ46 503(函ハコ)(←オハフ46 15)

オハ47を緩急車化改造した形式です。オハ47はスハ43の台車TR47をTR23に変更した形式ですが、オハフ46はスハ43の緩急車スハフ42の台車変更形式ではありません。(スハフ42は車掌室が車端部にあるのに対して、オハフ46は内側にあり、外観が異なります。)オハ36とは異なり、オハ47もオハフ46も、車番は新たに1番から当てられました。以前の記事でも触れましたが、客車は台車を履き替えたり、軽量化によって自重が軽減したり、電気暖房装置を搭載して重量化したり、腰掛の配置を変更(近郊形改造)することで形式や車番が変わるので、趣味的な興味は尽きません。限られた旧型客車の形式でも頭がこんがらがるのに、戦争を挟んで存在した多くの形式も含めたら、もう頭の中は真っ白になります。

 

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マニ60 2666(函ハコ)(←オハニ61 242←スハニ61 242←ナハ23037)

60系鋼体化改造車から更に改造された荷物車です。スハニ61からオハニ61への形式変更は、積載荷重を5トンから4トンへの変更に伴うもの。マニ60の道内配置は旭川客貨車区、札幌運転区、室蘭客貨車区、函館運転所でしたが、電暖搭載の2000番代は旭川と函館に1両ずつの配置でした。

 

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マニ50 2255(大ミハ)

「大ミハ」は大阪鉄道管理局の宮原客車区。

50系客車に属する荷物車です。「宮原」は「みやはら」と読みますが、何かで「みやはる」と表記しているものを見た気がするのですが、記憶違いでしょうか。ネットをググったら機関区では「みはら」という呼んでいたという記事まで出てきました。

 

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マニ50 2254(大ミハ)

白いサボの「大航1」は運用番号を示します。「大」は大阪鉄道管理局、「航」は青函連絡船による航送、「1」は運用番号です。

 

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マニ50 2239(北スミ)

「北スミ」は東京北鉄道管理局の隅田川客貨車区。

荷物が窓の高さまで積み上げられています。こういう場合に備え、窓には鉄格子があるわけでして。積込の時には郵便車でもそうですが、荷物をボンボン放り投げるので、天井の照明(蛍光灯)も金網で防護されています。

青いサボの「北東航6」は、東京北鉄道管理局の青函連絡船航送、運用番号6です。

 

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スユ13 2014(函ハコ)

北海道と本州とを行き来する郵便車や荷物車は、全て電気暖房対応の2000番代です。東北本線奥羽本線ED75には蒸気暖房装置を積んでいませんからね。

スユ13は護送便専用車のオユ12に電気暖房装置を搭載して重量増となった形式です。護送便とは・・・ネットで調べて下さい。取扱便とか締切便とか。

 

とまあ、形式っぽい写真を撮ったものの、舞い降りる雪が埃の様に車体のディテールを潰しており、かなり残念なものになっています。ディテールが重要視される車両写真の撮影ではことのほか、天候、光線状態などに気を配らなくてはいけません。そういう神経の使う撮影は自分向きじゃね~な。

 

昭和57(1982)年1月1日