ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

買物ついでの上野駅

前回までの記事は、ちょっと時間を先へとフライングしてしまいました。今回からは時間軸を戻し、「「のりくら6号」乗車で名古屋へ」の記事に続くものです。

早朝から上野駅で撮影しようと、深夜、大垣からの夜行で清水を発ちました。奮発してグリーン車に乗車。車はサロ163-3。163系、最初で最後の乗車でした。因みに大垣からの夜行電車は340Mで、大垣発20:25、清水発は01:13、東京着は04:40でした。

この日のメモは全くなし。もともと買い物をするための上京であって、撮影は二の次でした。二の次だけれども、せっかく上京するのであれば上野参りは当然です。

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時刻不明ですが05:00頃です。12系の臨時列車のようです。EF58の番号がいいですね。山本山みたいで。

 

地平ホームに降りると、17番線にはキハ58系の姿がありました。05:02に到着した、酒田からの急行「出羽」です。堂々の10両編成。

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キハ27 812

修学旅行用の800番代がありました。塗色は急行色になっていたのでパッと見、普通の車両となんにも変わりません。車内設備は一部、修学旅行向けのまま残っていたと思います。

 

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キロ28 117

札幌運転区にも2両(131号、198号)だけ配置されていたキロ28。

 

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キハ58 816

こちらも800番代。私は中学生の修学旅行ではキハ56系に乗って、札幌から函館へ向かいました。完全な団臨で、10両編成だったと思います。10クラスあって、1両1クラスでしたので。当時はラジカセが大流行りで、どでかいラジカセを持参したヤツもおりましたよ。30cmのLPレコードがかけられるラジカセなんてのもあって、その無茶ぶりな大きさは想像にお任せします。そういえば、パソコンがそれなりに普及し、記録メディアがフロッピーディスクからCD-Rに移行しつつある頃、30cmLDをパソコン用の記録メディアとするドライブが開発されそうになったそうです。CDよりも更なる大容量記録メディアということだったのでしょうけれど、それはDVDが開発されたことで消えてしまいました。もし実現していたら外付けドライブとして、あまりに邪魔臭く、メディアそのものも大きくて保存が大変だったことでしょう。

 

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05:24着 ゆうづる2号

「出羽」が回送で出てゆくと、入れ替わるように「ゆうづる2号」の到着です。ご覧の様にヘッドマークがないので、優雅さに欠けます。

 

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05:45着 「北陸」

高架ホームに上がると、すぐに「北陸」がやってきました。EF64の1000番代は、側面が独特な非対称なデザインで、その風貌にはなかなか馴染むことができません。

 

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20系に代わる新型寝台車として登場した14系は、電源装置を分散方式とし、途中駅での分割併合を容易なものにしました。しかし、北陸トンネルでの火災事故を受けて国鉄は方針転換、電源車を使う20系と同じ集中電源方式の24系に移行しました。なので、14系寝台特急列車は少数派なのです。

 

ヨドバシカメラの開店までまだまだ時間があるので、撮影もまだしばらく続きます。

 

昭和57(1982)年7月10日 上野駅