ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

夜行鈍行「はやたま」を降りてから

この年の春に発売になった「青春18のびのびきっぷ」を使い、中部、山陰、近畿あたりを乗り鉄しました。中でも、寝台車を連結した夜行鈍行「はやたま」(天王寺~亀山間)には是非完乗しようと、スケジュールの最後に予定を組みました。この頃、全国に残っていた寝台車付きの夜行鈍行は「はやたま」の他に、京都~出雲市間の「山陰」、門司港~長崎間の「ながさき」と合わせて3列車だけでした。この2年前には我らが「からまつ」(小樽~釧路間)が廃止されています。

始発の天王寺駅は夏休みということもあって混雑しており、その前夜に乗車した「山陰」同様、「はやたま」の車内も乗客であふれていました。それを見込んで早めにホームで待っていたものの、生録するのにちょうどいいベスト座席を獲得することは叶いませんでした。「山陰」は途中の鳥取で下車してしまいましたが、「はやたま」は終着の亀山まで乗車しました。その肝心の「はやたま」の写真は撮っていません。

f:id:railway-photo:20200622073224j:plain

11:23発 亀山駅 125列車か

おそらく、お隣のホームに停車しているのが924列車「はやたま」かと。この時の旅行は車内アナウンスの生録が目的で、スナップ撮影のメモはほとんど取っていないので、今になって困っています。

 

f:id:railway-photo:20200622073449j:plain

キハ55 255

七尾運転所から亀山機関区に配置換えされたキハ55 255。

亀山機関区にはかつてDF50が配置され、キハ81系と共に紀勢本線の名物でした。

 

f:id:railway-photo:20200622073502j:plain

キハ55 259

100番代のグループで、運転台窓の大型化、側窓の一段上昇式に変更されたのが外観的特徴で、エンジンも改良型となっています。

キハ55は旧形式キハ44800として誕生し、上野~日光間の準急「日光」に初投入されたことから、日光形と呼ばれます。80系電車の湘南形、153系の東海形、151系のこだま形、581系の月光形、20系客車のあさかぜ形など、最初に投入された地域や列車名がその形式の愛称名となったわけですが、いずれも画期的な車両であったという点が共通しています。国鉄最初の気動車急行列車はキハ55系によるもので、博多~別府間の臨時急行「ひかり」でした。

 

亀山から関西本線の243Dに乗車して奈良に出ました。関西本線のこの区間だけは非電化でした。

f:id:railway-photo:20200622073514j:plain

奈良駅 113系

快速用の113系です。昭和48(1973)年に湊町~奈良間が電化開業した際に登場しました。多くは大阪~奈良間の運転ですが、画像の列車は桜井線経由で王寺と結んでいた普通列車です。

 

f:id:railway-photo:20200622073533j:plain

12系の団臨のようです。

 

f:id:railway-photo:20200622073554j:plain

関西本線の各停に運用されていた101系。この日の晩に襲来する台風10号によって、王寺駅に留置されていた60両の101系と40両の113系が水没してしまいます。113系は全車が修理されたものの、101系は全て廃車となりました。その代替に各地から101系が集結し、様々な塗色が関西本線を走ったそうです。

 

f:id:railway-photo:20200622073604j:plain

クモハ101-28を先頭とするこの編成の運命はどうだったのでしょう。

この後、奈良線の650Dで京都に出ます。乗車はキハ45 27でした。

f:id:railway-photo:20200622073615j:plain

なので、ここは京都駅でしょうか。

京都からは、3本の普通列車を乗り継いで清水へ帰ります。

f:id:railway-photo:20200622073633j:plain

「加越」が停まっているので米原駅でしょうか。

 

のんびり普通列車に揺られて東へ向かうも次第に天気が怪しくなり、その日のうちに清水に停車する最終列車、498Mに浜松から乗車する頃には風雨が強まり、幾度となく長時間停車を繰り返し、清水に到着したのは翌朝の4時半頃でした。幸いにも駅前からはタクシーで独身寮に帰宅できましたが、睡眠時間1時間程度ではその日の仕事は辛かったです。

 

昭和57(1982)年8月1日