ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

機関車以外

前回といい今回といい、タイトルからして手抜きですね。夏の乗り鉄の際に駅ホームで撮影した、前回アップの機関車に続き、今回は機関車以外の画像を貼ります。

 

昭和58(1983)年7月15日

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松本駅

183系1000番代。「踊り子」用のは田町電車区、こちらは幕張電車区の所属。

 

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松本駅 クモニ83815(←モハ72242)

旧型国電から改造した荷物電車。パンタ部が低屋根構造。

 

昭和58(1983)年7月16日

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甲府駅 クモハ115-1・モハ114-801・サハ115-2

中央本線に存在する小断面のトンネルに対応するため、パンタグラフ取り付け部だけを低屋根にしたのが800番代。パンタグラフのある車両だけが800番代となります。

 

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上田駅

 

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小淵沢駅 キハ52 101

エンジンを縦型から横型に変更した100番代。床の点検扉がなくなりました。また車内中央にあった柱の様な排気管が車端に移設されたことで、側窓の窓割が均等になりました。

 

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長野駅 キハユニ26 9

荷物室の中に女子高校生が監禁されています。実はコスプレしている国鉄職員。

ちゃうやろ。

 

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長野駅 ナハネ20 2232

大阪発の夜行急行「ちくま3号」の車両。12系と併結できるように改造されており、1000番代は直接12系と連結される車両で、2000番代は12系とは直接連結されません。急行運用となった20系客車は3本のクリーム帯のうち、一番上のが省略されるケースが多い中で、一部の車両は3本のままとなっていました。

 

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長野駅 サロ169-1(←サロ165-43)

169系は、言わずと知れた165系に横軽対策を施しEF63との協調運転に対応した系列で、クモハ169、モハ168、クハ169が新造され、サロ169とサハシ169はそれぞれサロ165とサハシ153からの改造車です。

 

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長野駅 オハ12 345

いい番号だ。これも「ちくま3号」で長野にやってきて、この日の晩に「ちくま4号」として帰阪します。

 

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長野駅 キハ55 157

準急用として日光線でデビューしたキハ55。当初はクリーム車体に赤帯を巻いた姿でしたが、後に急行色に変更。一般用20系、準急用55系、急行用58系、特急用80系と、同じDMH17系列のエンジンを搭載しながらも、用途に応じて車体を作り分けていました。初期のキハ55は、キハ20などと同様にバス窓でした。

 

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長野駅 381系

元祖振子電車。試作車は591系。低重心とするため、屋根上にあるべき機器の多くは床下に搭載されました。そのため、従来車よりも全長が1mほど長くなっています。軽量化のため車体はアルミニウム合金。