ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

終点清水駅の手前で

学生時代に初めて清水港線を訪れた場所に、その6年後に改めて行ってみました。

f:id:railway-photo:20200713080928j:plain

一番右側の線路が清水港線の本線。奥が三保方面。高架橋の下を左に曲がっているのは、清水港へ向かっていると思われ、おそらく清水港線建設の発端となった引き込み線で、清水港に陸揚げした貨物を清水駅まで輸送する目的で敷設されたものだと思います。この時にまだ使用されていたのかどうかは分かりませんが、沿線が荒れていない状況から察するに、現役っぽく見えます。

 

f:id:railway-photo:20200713081011j:plain

枕木の上に置かれたワンちゃん用の食器らしき洗面器?なんか、昭和の時代をあますことなく語っているような気がします。

 

f:id:railway-photo:20200713080943j:plain

軍鶏(しゃも)は闘争本能が強いので闘鶏に使われますが、この時は襲われずに済みました。軍鶏鍋にすると美味しいらしいですが食べたことはありません。荒れた塀の向こう側は駐車場のようですが、今も駐車場です。

 

f:id:railway-photo:20200713081039j:plain

現在の様子をストリートビューで確認してみると、「牛べんとう」の建物は普通の住宅となり、その右隣の清水港線上には「手塚組」の事務所があります。清水港線跡は、踏切までは遊歩道となり、ワンちゃんや軍鶏のいた引き込み線の部分はフェンスに囲まれた空き地となっています。踏切から先、清水駅側は車道と広めの歩道に整備され、清水駅裏へと伸びています。この頃の面影など微塵も残っちゃいません。

 

さて、列車の到着です。

16:35 清水埠頭→清水 668列車 DD13 141

f:id:railway-photo:20200713081111j:plain

「ニュートルコ」の看板は、この6年前に初めて訪れた時のままです。今はありません。清水市内のメインストリート(か、その1本奥だったか)に、よくもまあ恥ずかしげもなくと、当時は清水市民であることがちょっぴり恥ずかしかったです。看板の左側にあるのが清水市庁で、今もほぼ同じ姿で静岡市清水区役所になっています。

 

f:id:railway-photo:20200713081122j:plain

通常は混合列車ですが、この日は日曜日とあってか貨物はありません。上り始発列車にして最終列車でした。旅客は1日1往復だもの。

昭和58(1983)年9月18日