有名撮影地であり、読み方がユニークなこの駅名。小歩危駅から国道32号線を歩いて移動し、吉野川を挟み対岸を走る土讃本線の列車を撮影しましたが、限られた時間と限られた本数ではなかなか思うように撮れず、難しかったです。
しかしまあ、無事に大歩危に到着しました。6km弱なので、散歩するにはちょうどよい距離です。
剣山(つるぎさん)国定公園にあるんですね。でも現在の特急「剣山」はここへは来ません。
吉野川を挟んだ右に土讃本線の覆道が見えます。とにかく険しい印象が強いこの路線は、いち早く無煙化が望まれ、DF50のプロトタイプとも云える試作機関車DF40(後のDF91)が投入され、長らく活躍したことでも有名です。
見るからにお転婆な川に見えます。四国三郎よりも四国三波とかどうでしょう。
遊覧船による川下りに加え、ラフティングも人気があるそうですね。いや、怖いわ。
大歩危橋から見た大歩危駅。ゆったりとした構内に見えます。よくこれだけの広い敷地を作ったものです。この当時、まだ3番ホームはありませんでした。
現在の駅舎は、この当時のものと雰囲気は似ているものの、改築かサイディングを施したのでしょうか。
12:44 238D(高知発、高松行き)
阿波池田まで乗車しました。
第二吉野川橋りょう。
大歩危駅に向かう途中、月並みながら、この橋梁を道路から横狙いで撮りたかったのですが、小歩危駅から走ったものの間に合いませんでした。
四国の駅名標にはローマ字表記がないので、何だか私鉄のように見えます。
小歩危駅に戻ってきましたが、ここでは下車せずに阿波池田まで乗車し、そこから徳島へ向かい、さらに乗り換えて讃岐相生へ向かったのでした。四国撮影の旅は始まったばかりでした。
昭和59(1984)年3月17日