高松を夜行列車の「うわじま1号」で発ったのが0:43。終点の宇和島到着は06:54でした。
高松駅でしょうか。四国には一桁番号のDE10がおり、7号機の他に1、2、8、9号機もおりました。
急行「うわじま1号」ではせっかくなので、元グリーン車に乗車しました。少しは疲れを取っておかなくちゃね。
宇和島駅 キニ56 1(←キハ55 141)
ヘッドマークはないけれど、これが「うわじま1号」の先頭車。
こちらが最後尾のキハ58 253。
隣は07:06発、高松行きの特急「しおかぜ2号」。ホームの立ち食いうどん屋が気になりますが、乗り換え列車の発車まで時間がないので断念です。
07:11発 窪川行き 834Dに乗車します。でも乗ったのはキハ65 38 ↓ 。
キニ28 5(←キロ28 172)
グリーン車改造とはいえ、流用したのは足回りで、車体はキハ40系に準じたものを新製。
急行「うわじま」と特急「しおかぜ」のツーショットを慌てて撮影。「しおかぜ」の発車直後でした。
834Dの車内より。停車した位置にちょうど駅名標があったので撮影。「まつまる」(松丸)の表記が霞んでいますが、それよりも気になるには、「えかわさき」。時刻表では、吉野生の次は「真土(まつち)」で、さらにその隣は「西ヶ方(にしがほう)」。江川崎は吉野生から三つ目の駅です。で、更によ~く見て見ると、「まつまる」の上の霞んだ文字は「ちかなが」となっているように見えます。近永は吉野生から宇和島方面に、これも三つ目の駅。四国では三つ目の駅を表示するのでしょうかね。もともと予土線のこの区間までは宇和島鉄道という軽便鉄道だったもので、昭和8(1933)に国有化された時に改軌し、更に延長工事によって窪川まで全通したのが昭和49(1974)年だというのですから、いやいやいや、時間かかり過ぎでしょう。因みに、江川崎の次が面白駅名の「半家(はげ)」です。留萌本線の増毛駅と対をなします。
09:13 家地川(いえぢがわ)駅に到着し下車。駅を出て、お見送り。それを追いかけるように、県道を伝って川奥信号場を目指します。
色は悪いですが、なんかいい雰囲気だったのでついシャッターを切ってしまいました。でもここがどの場所なのか、ストリートビューで確認しましたが分かりません。変な寄り道はせずに県道329号線をひたすら歩いたはずなのですがね。県道とはいえ、今でも結構狭い道路のようです。
09:43 若井→荷稲 あしずり1号
県道329号線が山間に入ってしばらくすると、眼下に線路が見えました。手前が川奥信号場付近のようです。
09:52 若井→家地川 841D
移動する時間がなかったので、同じ位置から。更に進むと踏切に出ます。
踏切に出ると、そこから線路沿いに家地川方面へバックします。
0キロポストは予土線のものでしょうか。若井~川奥信号場間は、中村線との共用区間なのですが、実質、ここが予土線の起点ということになるということでしょうか。
真っ直ぐ進むと宇和島へ。右へ回り込むとループ線でぐるりと回って中村へ。後ろが若井、窪川方面になります。列車の行き違いが出来る配線になっていますね。
クロッシングポイントまで来ましたが、まだループ線入口のトンネルが見えません。
ここでようやくループ線の川奥トンネルが見えました。
川奥信号場で何本か撮影した後は県道329号線に戻り、荷稲方面へ移動しました。
13:14 荷稲→川奥信号場→若井 南風4号
目の前を左から右に駆け抜けて行った「南風4号」は、ゆるやかなカーブで川奥トンネルに突入し、やがてその上の川奥信号場に姿を現しました。
一段高い位置にある荷稲駅。
若井方面を見る。
14:16発 750D(中村発、土佐山田行き)
オッサンに睨まれながら乗車する列車を撮ります。やりにくい。目指すは土佐久礼です。
川奥信号場から中村線を見下ろします。
15:04 土佐久礼駅到着
ネガの黄変は半端ねー。
土佐久礼~影野
線路伝いに影野方面へ移動して、海を背景に写せる場所を探しましたが、とうとう見つけられぬまま時間切れ。
失意のうちに土佐久礼駅に戻り、その日の宿となる高知へ向かいました。
急行「あしずり8号」を待つ人々。
17:05頃 先に753D(須崎発、窪川行き)が到着。今でこそ、お隣のマルタイが気になりますが、当時はそんな気持ちの余裕すらなかったのかも。
17:07発 「あしずり8号」(中村発、高松行き)が引き続き到着。両列車は同時発車です。
18:15、高知に到着すると疲れ果てていたのか、どこに宿泊したのかすら覚えていません。おまけに駅前では土佐電気鉄道の路面電車を見ただけで、1片の写真すらも撮っていません。何事もほどほどにしないと、失うものは大きいです。
昭和54(1984)年3月18日