ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

西鹿児島駅で車両写真

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夜の西鹿児島駅前でごんす。前夜、晩飯を食った後、宿へ戻る途中で撮影した模様。この5年前には路面電車を撮影しに来たことがありますが、桜島の火山灰が常時降り積もっている印象でした。この時は暗くてよく分かりません。

 

そして当日、午前5時過ぎの西鹿児島駅です。

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12系であっても車両写真を撮っておけばよかったです。連写で無駄撃ちするよりかは絶対に有益。

 

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05:36発の薩摩大口行き820Dと思われます。堂々の5両編成。

山野線の薩摩大口へは、日豊本線肥薩線~山野線経由で行く東回りルートと、鹿児島本線~宮之城線経由の西ルートとがありました。今は山野線も宮之城線もなくなり、乗り鉄の楽しみは減ってしまいました。

 

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キハ20 515

500番代車で、室内灯が蛍光灯になりました。

 

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キハ52 52

 

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キハ52 133

 

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キハ20 483

200番代車で、バス窓から2段窓に変更されました。北海道仕様のキハ21は、増備がキハ22に切り替えられたため84両の製造に留まり、バス窓車のみです。もともと2段窓は、二重窓を基本とする北海道にはそぐわない構造で、クハ711-901とクモハ711-901のみが採用したに過ぎません。しかも下段固定だし。

 

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キハ52 131

山岳部を走るために、2機関のキハ52が連結されているのでしょう。キハ52の0番代と100番代とでは、エンジンの変更と共に車内排気管の取り付け位置が変わり、側窓の窓割が変更されています。出入り扉の足元灯窓の有無の違いもあります。

 

旧客もね。でも、行き先サボもちゃんと撮っておけばよかった。f:id:railway-photo:20200722085908j:plain

スハフ42 203

 

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スハフ42 331

 

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オハ46 552(←スハ43 552)

後に電気暖房装置を取り付けて2552号になります。スハ43として落成したものの、重量を測ったら軽かったのでオハ46に編入されました。それにしても電気暖房の重量がもっと重かったら、またスハ43に戻るところでしたね。それともオハ36のように別形式にされていたでしょうか。

 

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スハフ42 2055

4両中3両が緩急車ってどうよ。

 

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DD16 55

行き先サボが判読不能なので何の列車なのか分かりません。おそらく鹿児島本線の列車なのでしょうけど。

 

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05:59発 宮崎行き564Mの車窓

まだこんなに噴煙を上げています。エエ加減にせいよ、とは思う。

こういう路線では、夏場、冷房装置搭載車が本当にありがたく思います。

 

昭和59(1984)年7月28日