昭和61(1986)年のお盆帰省では、友人を連れての帰省となりました。でも、駅ではさらっと鉄してましたよ。
仙台駅
友人とは仙台駅で合流。浮かれていて、メモは取っていないので確実ではありませんが見送ったのはおそらく「ゆうづる1号」でしょう。我々はその後の「十和田51号」でのんびり夜を過ごします。6時間42分の夜行旅行です。
青森駅。おそらく乗車してきた「十和田51号」かと。自由席は満席っぽかったので、空席のある指定席で寝ました。
羊蹄丸に揺られて函館到着。おんや?見慣れぬ荷物車が。
マニ50 2128
マニ50 2156
マニ50 2157
バイク輸送用のマニ50でした。「MOTOトレイン」はこの年から運転を開始した、夏限定の臨時列車で、独立した列車ではなく、夜行急行「八甲田」に併結されました。ライダーは専用の寝台車に乗車し、途中下車はできません。鉄道による郵便・荷物輸送が廃止され、余剰となった荷物車の活用法のひとつと言えるでしょうか。
控車(ひかえしゃ)を連結して、連絡船へコンテナ貨車を押し込むDE10 501。
画像で確認できる控車は「ヒ809(ヒ600形式)」「ヒ575(ヒ500形式)」「ヒ749(ヒ600形式)」「ヒ808(ヒ600形式)」といったところ。両形式とも、様々な2軸貨車から改造された事業用の貨車です。ヒ575はJR北海道に継承されたそうです。
キハ80系最後の定期特急「おおとり」も、遂にヘッドマークがイラスト化されました。
わたしゃ好きですけど。
DE10 501
SG非搭載のグループで、入換や貨物用機関車です。
北海道における80系気動車特急の魅力は食堂車が連結されていること。「おおとり」では終着網走まで10時間余りの旅を、お酒と列車の揺れに酔いながらゆったりと過ごすことができたでしょうね。最終番号の37号は、キシ80では唯一ベネシャンブラインドを採用した車両です。
キシ80の窓越しに見えたのがスユニ50 510。「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」の船内に保存されているそうです。
DE15 1とは、蒸機末期に名寄駅で見かけて以来の再会ですから、実に11年ぶり。夏場は排雪の仕事がないので入換や貨物列車牽引に充てられます。DD14やDD15、DD53といった排雪用機関車全般に言えたことですけど。
前頭車との連結器を取り付けたまま強引にナンバープレートも取り付けたものだから、DE形式151号機に見えなくもありません。
「おおとり」を見送り、その後の「北海3号」で札幌へ向かったのは私の趣味、わがままです。どうせ急がないし、酒飲んでの汽車旅ですから。
昭和61(1986)年8月12日