ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

早朝の札幌駅

山線から優等列車が消える。国鉄最後のダイヤ改正により、山線から特急「北海」と急行「ニセコ」が廃止されるとの報に、いても立ってもいられなくなり、有給を取って帰省しました。のんびり鉄道に揺られている時間的余裕はなかったので、仕事を終えると夜の飛行機でひとッ飛び。

撮影初日、札幌駅の朝です。

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06:25着 まりも

この当時、道内を走っていた夜行急行は

すずらん」(臨時のみ):札幌~函館

「大雪」:札幌~網走

「利尻」:札幌~稚内

「まりも」:札幌~釧路

の4本でした。まだ寝台専用列車はなく、寝台車と座席車による編成です。

 

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06:37発 252M(東室蘭行き)

現在の2724Dに相当する列車で、室蘭地区への送り込みを兼ねていました。行き先サボが出入り口の横にあった頃。

 

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06:59発 522M、まりも

ナンバー部の白帯がかすれています。相変わらず、釧路のDD51はみすぼらしい。

 

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単機

高架化工事が着々と進行中です。桁の架かっていない箇所は、現在の「いろはにほへと」の店舗が入っている場所になります。そして立ち位置には紀伊國屋書店が建っています。

 

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06:45着 41列車

山線回りの夜行鈍行。函館~札幌間に6時間46分もかけていました。車なら中山峠経由で5時間ちょいのコース。鈍行とは言え、実質的には快速列車で、小樽~札幌間はノンストップでした。札幌駅で乗客を降ろすと、荷物列車として苗穂まで運転されました。

 

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スハフ44 25

赤文字の行先サボは、80系気動車特急にも見られました。ED76が所属する岩見沢第2機関区は、後の空知運転所。

 

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06:45着 大雪、スハフ44 3

北海道に最後まで残った旧型客車はスハ45系ですが、車掌室のあるスハフ44ばかりが残されました。そしてそれらが快速「C62ニセコ号」に充当されることになります。

 

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幕を回して「ニセコ」に変身。なんやねん。

「まりも」は7両、「利尻」は6両、「大雪」は5両が所定の編成でした。14系化されたことにより、A寝台車と客車のグリーン車が北海道から消えています。自分にはあまり縁のない車両でしたが、かつて郵便車や荷物車も加えた長い編成を連ねた姿と比べては、つい溜息を着いてしまいます。

 

ここでカラーネガを使い切り、KRに入れ替えて522Mに乗り込んだのでありました。

 

昭和61(1986)年10月10日