消えゆく特急「北海」や急行「ニセコ」を山線で撮る中、やはり押さえておきたいのは張碓海岸を走る姿です。下り「北海」を恵比須岩で撮りたくて、銭函から線路際を歩いて行きました。
因みに銭函へ来る前には朝里で撮影しておりました。
陽が傾いてきて、寂しい気配に包まれようとしていましたが、そんなことは気にもせずに、線路際をどんどん歩くだけです。
駅舎の中でくつろぐニャンコ先生。誰かがあげた、イカ姿のお菓子には目もくれません。
今はどうか知りませんが、この当時は海水浴シーズンでなくても、海岸は若者にとって恰好の遊び場になっていたように思います。当然、線路際を歩いてやってくるわけですが、まあそれが普通でした。まだ100km/hオーバーの運転をやっていない時代でしたし。
南小樽を出ると、札幌までノンストップな臨時の快速列車。ようやく恵比須岩が見えてきました。擁壁に埋め込まれたステップは、昭和55(1980)年11月、SL列車が走った時に登った、思い出深いのものです。登っている途中で、線路際にいた警備員さんから「登っちゃいかん!」と叱られましたが、「すいません!上に戻る所です」などと出鱈目こいてそのまま上がってしまいました。よい子は真似をしないように。大人は逮捕されます。
現地到着。ロープが張られていますが、張られていないところで線路を横断しました。
それにしても711系は来る列車来る列車、みんな「くる来る電車ポプラ号」です。
当時は貨物列車も普通に走っていました。この時はダイヤを持っていたのでしょうね。多分、ダイヤ情報をコピーしたものでしょう。
16:21 829列車(小樽発、岩見沢行き)
レッドトレイン。手動ドアの旧客では、デッキからの落下事故が起きるなどして安全上の問題が指摘されていました。そうした事情を背景に登場した自動ドアの50系は、清潔感もあって通勤・通学客には好評だったようです。
16:25 単302列車
機関車の単機は、この当時、珍しいものではありませんでした。それだけ機関車牽引列車が多かったということでしょう。露出が取れないので、流し撮りになっています。
ここでカラーネガは終了し、カラーポジに入れ替えて撮影は続行します。本命の「北海」はこの23分後に通過します。
銭函から恵比須岩までの徒歩移動は、これが最後でした。
昭和61(1986)年10月12日