国鉄末期に、余剰となった貨車が大量に留置された新鶴見操車場ですが、JRになってからも車両が入れ替わりながら続いていました。前回訪問した時には入換用のDD13が大量に置かれていましたが、この日はDE11とEF62の姿がありました。
この日は散歩がてらの気分で、安物のコンパクトカメラによる撮影です。そのため、ズーム比は小さく、あまり望遠は利きません。とりあえず、番号撮りと参ります。
DE11 56
DE11 54
DE11 1015
DE11 41
DE11 40
DE11 39
DE11 5か?
DE11 6
DE11 2
2号機はJR貨物で研修用に保存されていたようですが、結局、2007年頃に解体されたとか。
DE11 3か?
DE10 146
DE11の隊列に混じってDE10の姿もありました。タブレットキャッチャー装備で、国鉄末期に品川機関区で廃車となっています。他のDE11もほぼ同時期に品川機関区で廃車されています。
DE11の列にはEF62も連なっていました。信越線を中心に客車・貨物列車を牽引してきましたが、仕業がなくなると東海道本線に降りてきてEF58に代わり、短期間ながら荷物列車を牽引していました。数少ないSG搭載機関車でしたからね。平地を走る山岳路線用の機関車ということで注目を浴びたようですが、私はとうとうその姿をちゃんと記録しませんでした。んもう~バカバカ。
EF62 14
EF62 24
列はまだ伸びているのですが、写真はこの2枚だけです。望遠が足りずに諦めたのか、それとも撮影できる足場がなかったのか。
少し場所を移動すると客車や貨車もありました。
スヤ61 2001(←スロフ62 2006←スロフ61 2006←オロ61 103←オハ61 200←ナハフ24363)
どんだけ改形式されてきたんだか。「鉄道労働科学研究所」の試験車とのこと。乗務員の労働環境改善のための試験車で、車内には乗務員用の椅子や運転台、各種試験台などが設置され、人間工学に基づく車両設計に活かされたようです。
ナハフ11 2018
ナシ20 19
なして20系の食堂車がこんなところに?一瞬、目が点に。
そんな廃車体をよそに、貨物列車が淡々を通過してゆきます。
用途を終えて鉄屑と化す車両たちにも、現役の機関車たちにも平等に、小春日和の柔らかな陽射しが暖かく降り注いでおりました。
昭和63(1988)年10月22日