ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ふらりと上野駅に

用事があって鶴見に出たのですが、そのままふらりと上野駅にやってきました。

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日曜の昼下がりの上野駅。あまり人影はありません。「JNR」マークが剥がされ、側面は間の抜けた感じがします。

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何やら作業中。ちょっと足がすくみそう。

 

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クハ115-115

 

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トップナンバーをゲット。クハ481はスカートにタイフォンがある0番代。

 

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もうこの頃には、ボンネット「あいづ」を見かけなくなりました。結局、ボンネット車用のイラスト愛称板は製作されなかったのでしょうかね。

 

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奇天烈な塗色の「白山」。「白山色」と呼ばれていましたが、赤いひげで二やついているように見えます。ここでフィルム切れ。

昨年、京都鉄道博物館に保存されているクハ489に、この塗色がラッピングで復元されたそうですが、こんな塗色でも好きな人は好きなんでしょうね。デザインは個人的嗜好で評価が分かれがちですから、良い、悪いというよりも好き、嫌いで二分されるでしょう。また、慣れの問題もあって、最初は気に入らなかったのが、見慣れてくると気にならなくなり、いつしかそれを自然に受け入れてしまうということ。「スーパー白鳥」でデビューした789系を甲種輸送で初めて見た時、「何だ、このイモムシみたいな緑色は」と悪寒が走りましたが、撮影しているうちに段々慣れてきて、いつしか「これも有りか」と思うようになりました。「白山色」についても、国鉄形車両崇拝者にとっては重罪にも匹敵する悪しき塗色かもしれませんが、この色に対して思い出を紡いだ人もいるでしょうから、もうこれ以上は何も申しません。

 

平成元(1989)年2月26日 上野駅