ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

またまた上京で「ミッドナイト」乗車

「夜会」公演を観るため、またまた上京です。札幌を再び「ミッドナイト」で発ちました。そして翌朝、函館到着。

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キハ27 552

この日も「カーペットカー」でごろりと夜を過ごしました。乗車した車両です。

 

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キハ27 554

 

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キハ27502

リクライニングシート車の「ドリームカー」。ちょっとグラつき気味のシートはあまり好きではありませんでした。

 

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北斗星6号

ボケ、ブレのダブルです。この時もコンパクトカメラ。フルオート。

 

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キハ24 3

 

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この当時、キハ24は8両が残存し、函館に5両、苫小牧に3両がおりました。釧路と旭川からはすでに撤退していました。

 

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増結されたキハ40 113(→キハ40 838)

最初に製造された16両のうちの1両。その後の増備車とは側窓の配置や、屋根上の水タンクの形状に違いが見られますが、この写真では全然分かりませんね。

 

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キハ40 793(←キハ40 231)

初期のJR北海道色。もともとはワンマン化改造車(700番代)に対して施されたものですが、結局は札沼線の再改造車であるツーマン仕様の300番代、330番代にもそのままJR北海道色が引き継がれました。

 

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キハ40 792(←キハ40 173)

助士席の「ワンマン表示器」は、バスのものを流用したと聞いています。

 

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新旧の塗色が、ホームを挟んで並びます。

 

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キハ40 805(←キハ40 209)

旧塗色でもない、新塗色でもない、途上色。試験塗装だったのかも。

 

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キハ40 804(←キハ40 222)

こちらは新しいJR北海道色。

 

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キハ40 802(←キハ40 187)

キハ40を熱心に撮るのは、いささか酔狂だったかもしれない時代。キハ48、キハ400系も含めて全250両が全道で活躍していました。

 

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スーパー北斗1号」・「はつかり10号」

JR北海道のフラッグシップ、キハ281系と、国鉄の代表的特急電車、485系。平成と昭和が共存しています。

 

そして東京。

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E1系MAX(600系とは命名せず)、300系100系E1系といえば、小泉今日子ちゃんがCMでMAXの説明をしていましたな。この当時はみなスラリと鼻が伸びた表情。E4系と700系から流体力学を考慮したカモノハシ顔に変わります。他国の高速用車両でも類を見ない表情ですが、製作が大変そうです。

 

平成元(1989)年11月25日