ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂で

苗穂に、ビデオではなく写真を撮りに来てしまいました。何でかな~?「C62ニセコ号」が無くなり、深名線が消え、キハ53までいなくなってしまって、頭のネジを緩んでしまったのでしょうか。

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飽きるほど見てきた781系ライラック」も、今や記憶と記録の中だけの存在に。

 

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721系の方が走行性能は断然いいです。この頃の721系の助士席側運転窓上には、編成番号がなかったり、小さい文字だったりしていました。

 

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深名線札沼線でその任務を終えたキハ53など。手前からキハ53 505+キハ56 119+キハ53 507+キハ53 502+キハ53 501。

711系の列車が3本も見えます。731系登場前の頃。

 

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工場構内にはキハ53 504やキハ130 5などの姿が。キハ130 5は、日高本線の踏切事故で運転台を大破し廃車となったものです。この後、キハ27やキハ56などとともに民間会社が買い取り、手稲の前田に留置されていましたが、結局、再利用されぬまま朽ちてゆきました。

 

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一見、活気あるように見えるキハ141系などとの並び。

 

場所を移動して豊平川手前のカーブへ。今は立入できませんが、この頃は「立入禁止」の看板もなく、線路際で撮影できました。

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唯一、新特急色を残していた「おおぞら」。これも、翌年3月にキハ283系スーパーおおぞら」がデビューするのに合わせてHET色となります。

 

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「宗谷」「サロベツ」「利尻」の宗谷急行3兄弟のうち、JRになってから新設されたのが「サロベツ」。かつては「天北」が3兄弟の一人でしたが、天北線の廃止と運命を共にして消えました。

宗谷急行は国鉄急行色のキハ56をしばしば増結し、国鉄臭をプンプン漂わせてファンを楽しませてくれたものです。しかし晩年はなぜか中間に増結されるようになり、ちょっと味わいが薄くなりました。

 

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千歳線の721系快速「エアポート」と函館線の711系普通列車711系はまだ全車健在でした。

 

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ふいを突かれて、「くつろぎ」が通過してゆきました。最後尾はキロ59 1。

 

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北斗星2号」が上野を目指します。DD51、力行して豊平川を渡ります。

 

ここで撮ったのはこれが最後になりましたが、とうとうこの場所でビデオを回すことはありませんでした。白石方面からの列車が撮り辛かったからでしょう。

 

平成8(1996)年4月7日 苗穂~白石、苗穂運転所、苗穂工場