ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

楓から白石へ

早朝、楓駅で一番列車を撮った後も引き続き午前中一杯、通過する列車をビデオ撮影していました。昼には帰宅する途中、白石で何でか写真を撮っています。

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バス停もあった楓駅

 

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列車は朝夕各1本ずつだけ。

 

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札幌まで1790円。車だとガソリン代がその1/4で済んじゃう。この頃、確かレギュラーで80~90円/lくらいだったと思います。ざっくり距離を100kmとし燃費18km/lで計算すると、5.6リットル×85円/リットルで476円。楓からだと夕張までの運賃やん。

 

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2691Dが到着。降りた乗客はゼロ。でも写真には写っていませんが、二人、乗車しました。バスでも過剰なレベル。

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2692D発車。二人を乗せていざ新夕張へ。そして新夕張からは2623Dとなって夕張へ向かうのです。

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この後、ビデオだけでお昼前まで撮影を続けます。それから白石へ。白石では写真だけです。何か意図があったのか。いや写真を見る限りそれらしい列車は写っていないし。

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13:43 急行「宗谷」 苗穂←白石

なぜ正面を撮っていないのか。

 

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13:58 特急「おおぞら4号」

これもなぜ正面を撮っていないのか。

ヘッドマークが「おおぞら」から「OZORA」表記となり、なんかガッカリ。

 

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14:00 1220M(江別発、札幌行き)

 

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14:02 1771M(千歳発、ほしみ行き)

千歳線の下り列車ながら、函館本線上り線を走っています。正面から撮っていれば、変形スカートが撮れたのに。この角度からでも、先頭車のスカートの形状が最後尾と違うことが分かりますけど。

 

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14:03 SWA13号 苗穂→白石

この時代の顔はまだあっさりしていて、後に「エアポート」運用に入ると、スカートに丸穴が開いたり、おでこにスタビライザーが取り付けられたりして、少々いかめしい顔つきになります。

 

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14:08 3222M(岩見沢発、札幌行き)

 

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14:09 快速「エアポート140号」

 

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14:13 3221M(小樽発、岩見沢行き)

すでに711系781系もキハ400系も急行列車も「いしかりライナー」も消えてしまいました。この場所は、今はNGになっているんだろうな。

 

平成10(1998)年5月23日

 

もうそろそろ写真のネタが尽きますが、引き続き今度は年長の鉄友から預かっている写真をアップします。蒸機の車両写真です。たとえばこんなの。

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デフが切り詰められていない頃のD61。留萌機関区。昭和42年8月。