ビデオ撮影に専念してからも、しばらくはスチルカメラを持参していました。駅舎やその周辺の様子を撮影するのに、ビデオではどうしても時間がかかってしまいます。写真なら10秒かそこらで撮影を終えられますが、ビデオだと三脚を据えてから撮影を終えるまで最低でも5分はかかかるでしょうか。そんなこともあって、スナップ映像は極力写真で撮っていた時期がありました。
「スーパー宗谷」の撮影で宗谷本線を訪れていた時のもの。
旭川方面
稚内方面
結局この駅では普通列車をビデオ撮影しました。
平成12(2000)年5月9日
旭川方面
廃止になるからとかではなく、立ち寄ったついでに余裕があれば撮っていました。実際、この駅はまだ廃止になっておらず、しかし隣の南下沼駅は廃止されています。この駅では列車は撮っていません。
「スーパー宗谷」「サロベツ」のビデオ撮影を終えて一息入れた時に撮ったものかもしれません。逆光で少々見辛いですが、撮っていないよりかは何百倍もマシ。
平成12(2000)年5月10日
「塩狩峠さくらノロッコ号」は長時間の停車だったので写真でも撮影。この後、本命の「スーパー宗谷」をビデオ撮影。撮影後は宗谷本線から留萌本線へ移動。久々の「SLすずらん号」の撮影でした。
鉄道に関係ないものでも、気になれば撮っておくのがいいでしょう。
峠下駅の近くに建つ、「留萌市立峠下小学校」の校舎。昭和37年に建設されたものです。すでに閉校から12年が経過し、建物はヤツレ気味ですが崩壊の兆しは伺えません。しかしこの7年後に体育館が崩壊し、校舎もすでに解体されており、グーグルマップを覗くと現在は更地になっています。
木造の旧校舎は、この校舎の向かい側、つまり右手の山裾に建っていたのだとか。
手前が校舎で奥が体育館。校舎を見ると、1階2階とも教室の数はふたつずつに見えます。6学年だったら教室が足りないような・・・・。でももともと2学級、3学級で編成したとのことなので、最大でも三つの教室とひとつの職員室でちょうどですね。
校舎も体育館も、もともとは何かの建物が隣接していたようです。校舎の方はボイラー室で、体育館の方は体育用具の倉庫とか。
かつては、児童たちの明るく朗らかな声が響いていたのでしょうね。
留萌市のホームページから、廃校せまる当時の広報誌の記事。
https://www.e-rumoi.jp/content/000004794.pdf
https://www.e-rumoi.jp/content/000004795.pdf
校舎向かいの斜面に上り、校舎を入れて「SLすずらん号」を撮りました。校庭に児童たちの歓声が響き、その向こうをD61が牽引、9600が補機で後押しする石炭列車が通過するシーンを妄想していました。
余談ですが、峠下から恵比島へ向かう途中、トンネル手前からは留萌川に並行して炭鉱鉄道の専用線がありました。その線路跡が道道613号線のようなのですが、豊平炭鉱(天塩炭鉱との記述もある)へと続いていました。そこに峠下小学校豊平分校が設置されたというのですから、昭和30年代初めの峠下はさぞや賑わっていたのでしょうね。現在、豊平地区には、往時を偲ぶ遺構は全く残されていないそうです。完全消去でしょうか。切ない。
平成12(2000)年5月14日