ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

88620

SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区

車歴は↓こちらから。

88620 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

 

まず目を引くのは旧書体文字で形式入りのナンバープレート。

前端の縁取りをリブにして補強したデフも特徴的です。向かって右側のデフにだけ手摺が付いており、フロントデッキへの昇降をし易くしているようです。

解放てこは片側でしか操作できない旧式のもので、それを支える支持金具も古めかしく、最終に近いナンバーにもかかわらず、登場時の姿を残しています(国鉄所属機の最終ナンバーは88651)。

一方、煙室扉回りの手摺は、近代機関車のD51などに見られる形状となっています。オリジナルがそうなのか、後に改造されたものなのかは分かりません。

ステップの形状も、これまで紹介した4両とは異なり、最下段の踏板が幅狭だったり、中間ステップには棒鋼が使われているなど、ちょっと安っぽい感じがします。

ナンバープレートの上や前照灯の下に貼り付けられるべき「架線注意」のステッカーがありません。架線の下を走らなかったのでしょうか。

この機関車もSG管が前端梁部へ回り込み、連結器まで伸ばされていますが、やはり「さつえい人太郎」様のご指摘の通り、暖房管のようです。

 

8620形式の場合、製造順番を知るのはちょっと面倒ですが、8620が1号機、18620が81号機、28620が161号機・・・88620は641号機となります。

 

8620形式や9600形式の初期車は、キャブ下がS字を描いていることで有名ですが、季刊誌「蒸気機関車」の12号(昭和46年3月号)を見ると、58660がS字キャブとなっています。そんなことはある筈がないので「デゴイチよく走る」で車歴を確認してみると

58660 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

大正13年に脱線転覆事故を起こしてキャブを大破し、その修繕の際に他の機関車のキャブと交換したようだとの記載がありますから、そのキャブ提供機関車が8620の初期車だった可能性があります。因みに京都鉄道博物館に保存展示されている8630ももともとはS字キャブだったものを、元空気だめ取り付けの際に乙字に改造されたと言われています。

 

国鉄で製造した8620形式は8620~88651の672両ですが、他に樺太庁鉄道の8620~8634が国鉄編入されて88652~88666と改番され687両となっています。また同形式の機関車は台湾総督府鉄道部にE500形(戦後CT150形に改形式)として43両が製造、また我が北海道拓殖鉄道では自主発注機の2両が8621、8622と命名されています。よって、8620形式ファミリーは全部で732両ということになります。

 

9600形式まではその製造会社は「汽車製造」と「川崎造船所(後の川崎車輛~川崎重工)」の2社に限られていましたが、この8620形式から「日立製作所」「日本車輛」「三菱造船所(後の三菱重工業)」の3社が加わり、国鉄蒸機のメーカーとして発展してゆくことになります。

 

後継のC50よりも長寿で最後まで本線用機関車として活躍した、まさに大正時代の名機であり、JR九州の58654が今なお生きた姿を披露してくれる事は、鉄道史を語る上で貴重な存在でしょう。