ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

9625

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区

車歴は↓こちら。

9625 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

 

純国産の大型機関車、そのトップを飾ったのが9600形式でした。9550形式、9580形式(初代9600形式)で問題点を洗い出し、晴れて1号機である9600が誕生したのは大正2(1913)年でした。この時点ではまだ一部の部品に輸入品を使っていたものの、翌年には全ての部品が国内で製造可能となり、9618以降は純国産の貨物用機関車となりました。

小さな動輪と腰高で太めのボイラーが、いかにも力強く貨物用機関車らしい風格を漂わせています。2120形式の2倍のけん引力があったと言われています。最初の16両は当時まだ東海道本線だった今の御殿場線に投入され、箱根越えの補機としてその実力を発揮し、それまでの主力補機であったマレー式の9750形式や9850形式を追放してしまいました。(一部の9850形式は北海道へ転配され、追分~夕張間で運炭列車を牽引。しかしここでも9600やD50の出現と、取扱のしにくさから短命に終わったようです。)

14年間に770両が製造され、四国を除く全国で活躍しました。

 

9615まで、キャブ下はS字形でしたが、9616以降は乙字形となりました。9625は純国産化された初期車になります。

770両も製造された割には外観的に大きな設計変更はないものの、後の改造によって1両毎に特徴ある姿となっています。つばの付いた化粧煙突は大正生まれを物語っており、8620形式ではパイプ煙突に交換されたものが少なくないのに対して、9600形式ではほとんどの機関車で保持されました。

 

青森機関区の入換機として特徴的な外観の一つは、機関士側の正面窓についている庇の形状でしょうか。角ばったコの字形のもので、屋根位置から下を向いて取り付けてあります。そしてもっとも特徴的なのが炭水車。C56と同様に、後方確認をしやすくするために、炭水車は両肩部を落とした凸断面となっています。貯炭量は減るものの、入換機なので問題ありません。

キャブの側板と屋根が延長されているのも特徴的で、屋根の後方への延長は青森機関区機全般の特徴です。側板の延長は、一度は全国全ての9600で実施されていましたが、青森の9600は、ランボードの延長ラインから上方で更に後方へ延長されています。

太いボイラーにちっちゃなシールドビームは不釣り合いですが、それも愛嬌でしょうか。皿型のクルクルパーや前端梁のゼブラ模様は、私は全然気になりません。しかし入換機なのにSG管が連結器まで伸びているのが気になります。

 

大正生まれの機関車が、まさか国鉄最後の蒸気機関車になるだろうとは、誰も予想していませんでした。