ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

9646 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

この機関車、戦前には富良野機関区に配置されたこともあるようです。キャブの側窓が独立した2枚窓になっていますが、製造当初のままなのでしょう。多くは横長の連続窓に改造されています。

キューロクといえば、動輪が左側先行となっており、他形式とは逆になっていることで有名ですね。画像では動輪の釣合錘(つりあいおもり)の位置でそれが確認できます。左右のピストンが同じ位置にあると、死点となった時に動けなくなってしまいます。(自転車のペダルが垂直に立った状態では、いくらペダルを押し込んでも走り出しません。それが死点。ただしペダルには回転機構があって、垂直の力を水平力に変えることができるので、実質、死点はないに等しいです。)そこで、両方のピストンが同時に死点とならぬように、車輪の回転角度90度分、左右でずらしています。3気筒のC53形式ならば120度。

どうしてキューロクだけこんな風にしたのか。それは図面を描き誤ってしまったからだと言われています。(キューロクの試作形式と言われる9580形式はどうだったのかは分かりません。)初期の機関車が落成後に修正しようとしたようですが、同じ機関車で二つのタイプがあるのは面白くないという理由ともならない理由で、結局、間違ったまま770両も製造されました。ただ、保守する現場では、クランクピンを削正する機械が右先行専用となっていたために調整には苦労したそうです。(実際にどう対応したのかは分かりません。180度、向きを変えたのかな?)

では運転上に支障があるのかというと、それはなかったようです。ただ機構としては前進後進を決める心向き棒が、通常だと下げで前進、上げで後進なのが、キューロクでは逆になっており、中途半端な知識でそれに気づいてしまうと夜も眠れなくなってしまうかもしれません。

 

SAMPUKU爺様の写真に引き続き、昨日から田中泰三様(故人)の写真も準備し出しました。元国鉄マンであり、昭和30年代より北海道から九州まで広域にわたり蒸機を中心に撮影されている方なので、古典機関車こそありませんが、見知らぬ機番が続々出てきます。SAMPUKU爺様を介して、ご遺族の了解を得た上での公開となります。当然、8620や9600もあるのですが、枚数が多くて整理するまでには時間がかかるため、また途中で形式・機番がバックしますのでご了承ください。